このページは2003.4.1から2004.3.31まで、
BSNラジオ(毎週火曜日10:40〜)「ふるさと散歩」コーナーで
放送されているものを掲載しています。
高齢者総合ケアセンターこぶし園 園長 小山 剛
No53笑顔に支えられて(3/30)
いよいよ今回で最終回を迎えました。書き始めた当初、一年は長いと思っていたのですが、あっという間に一年が過ぎてしまいました。つまらない独り言に付き合っていただきました皆様には感謝と御礼を申し上げたいと思います。
さて最後はテーマとしてきた介護模様−曇りのち晴れ−についてまとめたいと思います。
介護は家庭内だけで行なうものから、公的サービスを併用して、あるいはまだ量的には不足していますが、公的サービスだけでも生活できる仕組みになりました。昨年は介護報酬が改定され、再来年の春には制度そのものの変更が予定されていますし、障害者に施行された支援費制度との合体議論も色濃くなってきています。
また在宅志向と自立支援を目指した制度にも関わらず、仕組みがアンバランスのために施設偏重に傾きかけたことも事実です。しかしこのことは利用される人達自身の本音が表れるたびに在宅志向が強まっていることが確認され、また小規模・多機能サービスの拡充で、徐々に在宅あるいは地域社会での生活の継続方向に傾いてきています。
私は福祉系の大学を卒業して以来、知的障害児施設、重症心身障害児施設、特別養護老人ホームという、自宅から離れた施設で集団生活を送る人達に関わってきたのですが、それぞれの人達が家族や兄弟、そして知人等との間で見せる笑顔に勝る関係を築くことはできませんでした。
それはあまりにも当たり前のことで、それぞれの施設で暮らされている人達にとって、施設は自宅ではなく、あくまでも一時の避難場所としての性格だったということに気付かされたのです。
そこで自宅あるいは暮らし慣れた地域社会での生活を支える仕組み作りを始め、その人らしい生活を支えたいと思ってきたのですが、いつのまにか、その思いはその人らしくから、自分らしく生きたいに変わっていました。
そうです、数千人の生活に関わってきた中でいただいてきた多くの笑顔に支えられた中で、いつのまにか自分自身もその笑顔でいたいとの思いになったのだと思います。この先どんな障害になっても、いくつになってもそうありたいと願う毎日です。
再見
No52考え方ひとつで世の中は変わる(3/23)
超高齢化時代、年金問題、介護保険の負担増などなど、年を重ねていくことに不安を感じている人もおられることと思いますが、そんなに心配することはないのではないでしょうか?
課題が見えているということは、対策を考え、実行すれば解消するということで、先行き不透明ということとは違います。
例えば高齢化のことも、現在進められている市町村合併をもっと大きな視点で捉えれば県レベルの合併も可能だということで、さらに大きく捉えるとヨーロッパのEUのように国の合併も可能ですし、グローバルな視点で見たら地球上の高齢化ということではまだまだ低いということになります。
銀河系から見たら地球などは塵の一つでしょうから、地球を一つの行政単位で考えていけば超高齢化時代、年金問題、介護保険などたいした話ではありません。要は考え方の問題と、人事にしないで自分自身のこととして考えていく姿勢が大切だということです。
とはいうものの、目の前のことが気になるのは当たり前のことですから、目の前の安心を考えてみたいと思います。
高齢化ということは人口全体の割合のことを示すものですから、子供の数が増えれば高齢化率が下がるというのは当たり前の話です。ということは若い人達が安心して子供を育てられる環境を作ればよいということで、ここに定年退職した子育て経験の豊富な高齢者が、年金より少し高め高めの給料で働く場が設定できれば、高齢化も年金もあっという間に片付いてしまうと思うのは楽天家の私だけでしょうか?
現在の高齢者の割合を20%とすると、約2,400万人ということですが、介護保険の対象となる人達は12〜3%ですから、約2,000万人は元気な高齢者高齢者ということです。このうち4分の1程度の人が雇用され、育児や介護を提供する側になれれば、年金受給者が減少するだけではなく、生きがいを持った人生を送ることもできると思うのです。60歳定年制は人生80年もなかった時代のことですから、人生100年も夢ではなくなった現代は70歳定年制も考えられないことではありません。
えっ、そんなに働くの?と悲しむのか、そんなに働くことができるのかと喜ぶかはあなたの考え方次第です。
No51コロンブスのタマゴ(3/16)
春を目前にした季節を迎えたにもかかわらず、冬に逆戻りしたかのような天気が続いていますが、サポートセンターには相変わらず全国から多くの人達が訪れています。行政や同業者の皆さん、そしてマスコミの人達です。
また昨年一年間に掲載された雑誌は30冊を超え、提供しているサービスが同じなのですから紙面に紹介される中身も同じで、なんとなく気恥ずかしさを感じている毎日です。
そして質問される内容も同じで、それは「どうしてフルタイム・フルサービスが可能なのか?」「どうして3食365日の配食ができるのか?」というものなのです。
これに答える私達からしますと、決して気取っているわけでも、奢っているわけでもないのですが、今まで普通の生活を作るために築いてきたことですから、「できることが普通のことで、できない理由がわからない」ということになってしまうのです。
例えばホームヘルプの24時間体制を始めた時も、施設自体が24時間365日稼動だったのですから、「今日から夜勤者が増えます」「今までの夜勤者は施設の中の利用者宅に歩いて行って介護をして、増えた夜勤者は車に乗って町の利用者宅に行って介護をするのだ」ということでしたし、3食365日の配食も、施設では今までも休まず提供していたのですから、そこで作る食事数を少し多くして、作った人がすぐに、近くに住んでいる人達に配るというものですから、新たに費用負担が発生したわけでも、増員が必要だったわけでもありません。
ポイントは今まで施設で提供してきたフルタイム・フルサービスの機能を、地域に分散するだけのことで、分散する場所が増えるたびに移動距離が短くなって無駄がなくなるという、コロンブスのタマゴのような話なのです。
歴史から学ぶことも大切ですし、積み重ねる経験も重要ですが、中にはちょっとだけ考え方を変えるだけで可能になるものもあるように思います。
家族が分散して会社の近くに住み、家庭内の家事や介護をいってに引き受けていたお嫁さんが社会で働く時代に入ったのですから、ラジオをお聞きの皆さんも少しだけ頭を切り替えてみませんか?
No50外国の福祉は?−その4−(3/9)
外国の福祉の最後はドイツから。
日本の介護保険のモデルがドイツの仕組みであることはあまり知られていませんが、医療などと同じく、ドイツの仕組みを参考に作られたのです。
そこでドイツの介護保険が始まって2年目に、その検証のために訪れたときのことです。最初の訪問地は経済の中心地フランクフルトだったのですが、街の中でびっくりする建物を見つけたのです。それは新潟市古町にあるネクスト21とそっくりのビルがあるのです。聞いてみますと建築家が同じだとのこと。本当に驚きました。
さてそこでお聞きした介護保険は、サービスを下げるか負担を上げるかの選択を迫られる状況ということでした。日本の介護保険は公的資金が50%入っているのですが、ドイツの保険は加入者と事業主だけなのです。ですから20年以上の月日をかけて議論の末にスタートしたのですが、それでも負担の限界を感じているようでした。
また現在の日本でも保険の負担を、40歳から20歳に引き下げたいとの議論がありますが、ドイツでは最初から働いている人全員、つまり20歳以下でも働いていれば負担が生じます。反面介護保険の対象者も0歳児からですから、医療保険と同様に国民全員が対象となっているのです。
次の訪問地ベルリンでは東西ドイツ統一十周年の記念式典の真っ最中ということで、ブランデンブルク門の脇には式典会場が設けられ、厳しい検問体制が敷かれていました。街中では最後のベルリンの壁が壊される寸前で、旧東ベルリンは建設ラッシュの真っ只中、東京オリンピックの頃の日本を見ているようだと年配の参加者が話されていました。
また旧西ドイツと旧東ドイツでは経済格差があるために、保険料も異なるとのことでしたし、現金給付のあるドイツの介護保険では、スタート間もないことと、この経済格差のためかサービスを受ける人より現金給付が多かったことが印象的でした。
いずれにしても介護保険は国民全員の生活を守る大切な仕組みですから、保険にせよ税金にせよ相当の財源を確保しなければ発展しないものだということを肌で感じさせられましたし、財源だけではなく、私達一人一人が参加協力する共助体制の構築が不可欠だと思いました。
No49外国の福祉は?−その3−(3/2)
今回はフランスの話です。
シャルルドゴール国際空港に到着したのは冬のオリンピックの真っ最中、さぞや空港も華やいでいるかと思えば、さにあらん。全くオリンピックはどこで開催しているのかわからないほどそっけのないものでした。
しかしテレビでは開会式のセレモニーや華やかなアトラクションが映し出され、その演出が30代の人の手によるものと聞き、独自の文化を守り続けている国の一端を垣間見せられたような気がしたのです。
さて最初に訪れたのは作家など文筆家のための老人ホームで、築百数十年という立派な建物で、中に入ってまず驚かされたのが美容室とフットケア・ネイルケアルーム。さすがにファッションのお国柄か、いくつになっても身だしなみがしっかりしているのは、そのための設備が用意されているから。
そして図書館を開けてまたまたびっくり。近くの小学校の授業が行なわれていたのです。施設の社会化や開放などはどうしていますか?などという質問をしなくて本当に良かったと思いました。子供達や地域の人と、その建物を共有しているのは普通のことだからです。どうして日本は別々なのでしょうか。
次に訪れたのがパリ郊外のサンジェルマン・ア・レイ市にある老人ホーム。
実はここの市役所の助役さんから色々とお話をお聞きしたのですが、さすがはお役人で数字に強かったことと、女性の助役さんで、そう言えば施設長も女性、その前の施設長も女性だったことを思い出し、フランスの女性はたいしたものだと思いつつ、男性の影の薄さにそのうち日本も…と思った次第でした。
このサンジェルマン・ア・レイ市では高い建物が見当たらず、老人ホームが一番大きかったのですが、その理由をお聞きすると、市の条例で古い建築物を残す為に高い建物は建てられないとのこと。
施設をもっと高くすれば大勢が使えるのですが、そのことよりもいままでの生活スタイルを守ることを選択した町の落ち着きを肌で感じさせていただきました。そして同時に茅葺の家の隣にビルを建ててしまう私達との文化の違い、生活に求める質の違いを感じたのです。
このことは老人ホームを町に一部として作るか、町の外の一軒家にしてしまうかという選択なのだろうと思います。
No48外国の福祉は?−その2−(2/24)
今回はイタリアの話です。
イタリア北部は工業地帯、南部は農業地帯ということで、南部には日本と同じように大家族制度が残っており…等などという説明を聞きながら、ローマ市郊外にある公立の老人ホームを訪れた時のことです。
いくら待ってもそこの施設長があらわれず、数時間後やっとあらわれた施設長のいなかった理由を聞いて、本当に驚きました。なんと昼休みだったのです。
その時に頭の中に浮かんだのは、「あ、そういえば真昼の情事という名作映画があったけど、やっと意味がわかった。」というものでした。
そんな驚きのまま施設を案内されていくと、黄色の廊下や赤の扉という極彩色が次から次へと目に飛び込んでくるのです。
それが奇異に感じられず、利用者もその色に溶け込んで見えるのは、ラテン系の人達の天性である陽気さのせいかと思わずにはいられませんでした。
老人ホームの仕組みも日本とは異なり、元気な人から寝たきりの人まで、本当に様々な人達が利用されており、日本であれば軽費老人ホーム・養護老人ホーム・特別養護老人ホームの合体版というところです。
でも身体介護や費用の仕組みで分けている日本より、同じ高齢者でまとまっている方が自然な感じだと思わされました。
ここで聞かせていただいたことで、ひとつ気になることがありました。
それはバカンスという日本とは比較にならない程の長い夏休みのために、バカンスのシーズンになると、まるで海の家のようにその期間だけ開かれる個人営業の小さな老人ホームがいくつもできるということでした。それも個人営業ですから内容も多様で、その質もピンからキリまで大変な格差があるというのです。
日本でも宅老所やグループホームなどの小さなサービスが評価されてきた昨今ですが、そこで受けられるサービスがピンからキリまで格差があるようでは困ります。
では小さなサービスの監視は誰がすればよいのでしょう。それは一年に一回程度の第三者評価というよりも、日頃から接している近隣社会の人達の役割だと思うのですが、いかがでしょうか?
No47外国の福祉は?−その1−(2/17)
この放送も今回で47回目となり、残りがだんだん少なくなってきましたので、大嫌いな飛行機に乗ってまで見てきた海外の話を少しだけしたいと思います。
今回はイギリスの話です。その昔、イギリスの福祉政策は「ゆりかごから墓場まで」という言葉で紹介されるほど豊かなもので、生まれてから亡くなるまでしっかりと保障するというものだったのです。
しかしかの有名な女性が首相だった時代に「大砲かバターか」、つまり軍事費を取るか、福祉の費用を取るかという選択を迫られ、その結果イギリスは軍事費を選択し、以降福祉予算は減少していったのです。
このことは福祉が後退したということなのですが、ある意味では地方自治による福祉政策の再編を促した前進でもあったように思います。1990年に制定されたコミュニティケア法では、利用者が中心であることをより強く打ち出していますし、地方自治単位の福祉政策が進められました。
そんな福祉の現場で見たものは、衰退した公的システムと新しい動きでした。
訪問先はロンドンの静かな住宅地にある公立の老人ホームと、シスター達が教会をバックにはつらつと動いていた新しい老人ホームでした。
公立ホームは第二次世界大戦後間もなく作られたホームということもあり、歴史というより年齢を感じさせる雰囲気で、利用されている高齢者も建物と同じようにあくまで静かな暮らしでした。一方新しい仕組みのホームでは、現在でも日本の最新ホームにひけをとらない建物と、何よりも活動的な雰囲気が随所に感じられました。
ただどちらにも共通して気になったのが、そこで働いているスタッフのことで、どちらも移民者もしくは外国人の長期労働者が多いといことでした。
これは後ほど経験する他の国々も同じことで、ホームの労働者の多くが外国人によって支えられているということです。
つまりイギリス人労働者の人件費が高いということで、スーパーで1リットル100円で買える水が、人件費の加算されるレストランでは1000円になってしまうことでも体験させてもらいました。
でもこのことは日本でも起きうることではないのかと強く感じさせられたのでした。
No46配食サービスに思うこと(2/10)
2月1日からサポートセンター永田を開設し、4ヵ所目の配食サービスセンターがスタートしました。
配食サービスとは読んで字のごとく、食事を自宅に配るサービスで、高齢者サービスを提供している私たちが配る食事の中身は、普通の食事からお粥や、刻み食という飲み込むことに障害が出てきた人達のためのものや、糖尿食や減塩食など多様なものがあることが特徴です。
また食事は毎日休むことなく、普通であれば朝昼晩と3回食べるのですから、配られる食事も365日3食なければサービスになりません。
これは各地で、地域やボランティアの人達によって一生懸命行なわれている、時々の配食サービスを否定しているのではありません。
地域やボランティアの人達がその力量に合わせ、地域社会の高齢者の皆さんに持っていく物は、弁当というよりもあたたかい思いやりの心にその意味があるものだと思っています。
みんながあなたのことをいつも思っていることを伝え、共にその地域で暮らしている仲間だということを伝え、また定期の訪問により、独り暮らしなどの高齢者の皆さんの安心につながる大切な役割だと思います。
反面、私たちのような高齢者サービスを行なう社会福祉法人の役割は、社会保障の基本である連続的な支援で生活を支えていくことにありますから、食事サービスも休むことがないサービスを提供しなければなりません。
施設では休むことなく食事を作り続けているのですから、少し余計に作れば近隣の人達を支えるくらいの量はできますし、各地に広がったデイサービスセンターにも厨房があるのですから、昼だけでなく朝昼晩と作れば、これも同じように近隣に配ることができます。
それも新たに設備を購入しなくても、既存の仕組みを活用することでできることですから、多くの地域で広がって欲しいと願っています。
ちなみに私たちのところでは、在宅の場合は1食330円、併設のバリアフリー住宅では3食で760円です。
毎月地域の皆さんの協力を得て試食会をしておりますので、興味のある方はぜひご参加ください。
No45旅先で発見した明日のこと(2/3)
現在、といっても今日は21日ですが、鹿児島は桜島におります。いろいろな仕事で全国をまわっていることは以前にも紹介しましたが、冬の鹿児島に来ているのです。鹿児島は何回も来ているのですが、桜島まで渡るのは実に30年ぶりです。そこで懐かしさと共に、ある発見がありましたのでパソコンを打っている次第です。
発見とは、まず島に渡るフェリー乗り場から始まるのですが、荷物がコインロッカーに入らないために、荷物預かり所に行ったのですが、ここは障害者団体の皆さんの運営だったのです。小さな売店と一緒にあり、知的障害の人たちがはつらつと働いていました。
いいところだなーと思ってフェリーに乗りましたら、またまた発見。なんとバリアフリーシートと書いてある広々とした専用席がいっぱいあるのです。車椅子のためのエレベーターまで用意してあることに驚きました。
佐渡汽船の数文の一のちっちゃなフェリーにです。こういうことがバリアフリーの暮らし、街づくりなのだなと感心してフェリーを降り、島内を走るバス乗り換えたのですが、ここでもびっくり。
結構乗客が乗っていたのですが、平均年齢80歳という感じで、私と運転手を除く全員が見事なまでに高齢者だったのです。まるでデイサービスの送迎バスに乗ったようでした。そしてそのバスの道中にも南国らしいソテツ並木や噴火のための溶岩の景色の合間合間に、在宅介護支援センター・老人ホーム・デイサービスセンターなどなどが本当によく目に付くのです。これは決して私が業界人だから見つけるのではなく、道路に大きな看板が、あるいは建物があるのです。
そういえば鹿児島県の高齢化率は高いのですから、当たり前のことなのかもしれません。
そうです、よく考えてみると近い将来の日本では何処に行っても見られる普通の風景なのです。新潟よりも数年早いだけで、私達のところでもいずれ同じ状況ですから、早くバリアフリーの生活環境を充足しなければならないとの思いを強く持ちました。
No44携帯電話の新たな使い道(1/27)
町を歩いていても、お店の中でも、本当にどこにいても携帯電話で話している人やメールを見ている人を見かける時代になりましたが、その多くは若い人たちです。
近くにいる人に、あるいはたいした用事もないのに電話を使うなんて…と思っておられる方もあるのではと思いますが、こんな便利な物を若い人たちだけの物にしておくのはもったいないと思いませんか。
実は昨年の暮れに国が、高齢者ケアの新たな仕組み作りの研究事業として「未来志向研究プロジェクロ」を立ち上げ、私たちが提供しているフルタイムフルサービス、つまり24時間365日型の介護サービスもその研究事業として選ばれました。
現在実施している、在宅における24時間365日型の介護サービスをさらに発展させるために様々な研究事業を行うのですが、その中の一つに、一人暮らし、それも介護が必要な状態の一人暮らしの方に対する安心感をどうやって作るのかというテーマがあります。
ご存知のように施設や病院にはナースコールという、ボタンを押すと誰かが「どうしました?」と聞いてくれ、状況に応じて自分の所に来てくれる仕組みがあります。
在宅生活においても、これと同様の仕組みがあったら安心だと思いませんか?
そこで目を付けたのが携帯電話だったのです。
現在のハイテク時代では、電話で映像を見ることができますから、ヘルパーさんと介護を必要とする方の双方に、映像付きの携帯電話を持ってもらい、これをナースコールにしようとしています。
もちろん片方は高齢者ですから携帯電話というより、小型のテレビといった大きさになりますが、ボタンを押したらヘルパーさんの顔が現れ、にこやかに「どうしましたか?」と聞くのです。そこでは呼んだ側の状態もヘルパーさんの映像付携帯電話に現れますから、お互いの顔を合わせることで安心感ができますし、緊急度の判断も容易になるというわけです。
若者によって急速に拡大した携帯電話ですが、高齢者にとっても役に立つ道具ですし、これからはハイテク機器をうまく使う事も重要です。
どうぞ研究の成果を楽しみにしていただきたいと思います。
No43新しい介護方法の提案−その3−(1/20)
新しい年を迎えた1月1日に、新しい暮らし方「コラボレート型サポートセンター永田」をオープンしました。
コラボレートとは「共同」とか「協力」という意味ですし、「サポートセンター」とは私たちが提案している、暮らしなれた地域社会での生活を支えるための包括的な介護の仕組みということです。
では何と何が共同しているのかといいますと、民間と社会福祉事業者が共同して地域社会での生活を支えていく仕組みを作ったということで、民間事業者が車イスのまま生活ができる24uのアパートを作り、その隣に私たちが24時間365日型の訪問介護・365日夜間緊急対応型の訪問看護・365日朝7:30〜夜6:30の通所介護・3食365日の配色センター、そして相談窓口の在宅介護支援センターと介護保険の計画をたてる居宅介護支援事業所を作ったのです。
このことにより、車イス生活やあるいは寝たきりなどの介護が必要な状態になっても、老人ホームや病院に移ることなく、暮らしなれた地域社会での生活がアパートという自宅で継続されることができるようになります。
サポートセンター永田では見学会を1月1日から開いているのですが、見学される方々を見ますと、2年前の1月1日に国内で最初にオープンしたサポートセンター三和の時と同様にある特徴が見られます。
それはこれから利用しようとされる当事者、つまり高齢者本人が来られるということと、ただの見学ではなく利用することを前提として子供さんたちと一緒に真剣に見られていくということです。
つまりサポートセンターの近くで暮らしておられる高齢者の方々や、近くに暮らしておられる子供さんたちが、自分自身の暮らし方として、また遠方で生活されている親を呼び寄せる手法として考えられているということなのです。
介護が必要になった時点で、家から離れ、高齢者だけの施設や病院で暮らさなければならない時代から、ようやく一人暮らしでも、また介護は専門家にまかせ家族として、地域社会で暮らすことができる仕組みができたということではないでしょうか。
積み上げ式の在宅介護費用など、まだまだ課題はありますが、皆さんも新たな暮らし方を見にきませんか?
No42申年と平均寿命(1/13)
あけましておめでとうございます。甲(きのえ)の申年になりました。
申は魔が去るにかけて縁起の良いものとされていますし、日本では一般的に申年のことを動物の猿にたとえます。
でもお隣の中国や韓国では軍神や方角の神様です。ですから有名な小説、西遊記で三蔵法師に仕え護りながら旅を続ける孫悟空は、まさに申の役割を示したものといえるでしょう。
またご存知のように申は十二支の九番目ですし、十二支は60年を周期としていますから、60歳になりますと還暦のお祝いをすることになり、今年は昭和19年生まれの方がこの還暦のお祝いに該当します。
しかし現在の我が国では、戦国時代の武将である織田信長が桶狭間の合戦前に謡った敦盛の「人間50年…」という出だしの言葉のような世界ではありませんし、70歳になることは古来稀なことという「古希」もあてはまらない長寿国になっていますから、88歳の米寿も、さらには99歳の白寿すらそんなに珍しいことではありません。
これを裏付けるものとして、昨年の12月9日に国連の経済社会局が発表した西暦2300年の世界人口の資料が大変面白いものです。
この見通しによれば、2300年には世界の人口が30億人位に増加することに対して、日本の人口は現在より二千数百万ほど減少して一億人くらいになるとされており、そして世界的には老齢化が進行し、現在の世界の標準的な年齢を表す中央値26歳が50歳程度にも上昇し、なんと日本人の平均寿命は女性が108歳、男性でも104歳になるというものでした。
現代社会ですら肉体労働の頼っていた生産業も機械化により楽になりましたし、入れ歯がありますから食べることも、メガネのおかげで見ることも、そして車社会の浸透で移動することにも困ることはなくなっているのですから、平均寿命100歳以上の世界はどうなっているのでしょうか。想像するだけでわくわくしてきます。
でも残念なことにといいますか、当たり前のことですが296年後の世界は、私もそして今ラジオを聞いておられる皆さんの誰も体験できないことなのです。ですから与えられた寿命を大切に、そして楽しく過ごす一年にしたいと思います。
No41激動の年(1/6)
いよいよ今年も残すところあと二日。皆さんにとって今年はどんな年でしたか?
私にとってこの一年はまさに激動ともいえるものでした。それは昨年の一月一日に、今まで進めてきた施設機能の地域分散、あるいは小規模多機能サービスとも呼ばれる新たなサービスの仕組みである、全国初のサポートセンターを長岡市の三和地区に開設したことに始まります。
この仕組みは今までも何回かお伝えしましたが、簡単に言いますと、どんなに介護が必要な状態になったとしても、今までのように老人ホームに入ることなく、住み慣れた地域社会での暮らしを支えられるシステムだということです。
この仕組みについては全国から反響があり、サポートセンターを特集した雑誌や書籍は今年一年だけでも28冊にもなりましたし、テレビやラジオの取材も多くありました。また全国各地からの見学者が絶えず、例年でも3000人位が来ていたところに加えて増えたのですから、今年は多分4000人を超えたと思います。
そして何よりも大きな変化は、国も県もこの仕組みに興味を持ったということで、国の新たな介護ビジョンとも思われる「2015年の高齢者介護」作成時にヒアリングをしましたし、厚生労働省の局長をはじめ担当者のほとんどが実際に見学に訪れました。もちろん地元新潟県の平山知事や森長岡市長はじめ、こちらも担当者の多くが見学されているところです。
このような状況ですから、日々の業務のかたわら週末は全国各地での講演会に呼ばれているという状況で、本当にハードな一年になってしまいました。
本音を言いますと、こんな当たり前の仕組みのどこが注目されなければならないのかと思うのですが、本当に残念なことに、毎日朝から晩までデイサービスがあって、ホームヘルパーと看護師が24時間365日稼動していて、ご飯が3食365日配られて、そしてバリアフリーの住まいを同時に提供している事業者が一つもなかったということなのです。
来月一日にはサポートセンター永田がオープンしますので、さらにこの状態が続くと思いますが、一人でも多くの人達の、普通の暮らしを支えるために努力したいと思います。
No40旅の本から−その3−
またまた旅先で読んだ本からひとつ。
文庫本から雑誌までひと月に、30冊位読んだり見たりしているのですが、今回はその中からある雑誌の定番インタビューを紹介したいと思います。
雑誌名は「サライ」というもので、私は創刊から現在まで欠かさずに購入しているのですが、この雑誌の巻頭には創刊時から特徴のあるインタビューが掲載されているのです。
それは色々な分野で活躍されている高齢者のインタビューで、この雑誌の顔とも言えるものです。
登場するのは各界で名をなした人達ですから、一言一言にさすがと思わせる金言がいっぱいで、読むたびにいつも感心させられてしまいます。
最新号ではジャズミュージシャンで、世界のナベサダことサックス奏者の渡辺貞夫さんが登場しており、70歳になった現在でも演奏活動を続けている中で「演奏する喜びが年々深まっていき」、「演奏活動に終焉はなくエンドレスなのだ」と語られていました。
また心に残ったものとして、例えばロケット博士として有名な糸川英夫博士の言葉で、「人が失敗するのは、見えない未来を追っているからで、見える過去を追えばそこからひらめきが出る」というものがあります。
つまり逆転の発想ということで、見えない未来を考えるときには、絶えず過去の出来事や覚えた知識を反復・反芻していけばイメージが膨らみ、このことは年老いても創造的な仕事ができるということです。
高齢期の記憶障害の多くは、新しいことを覚える力である記銘力の低下ですが、反面過去の記憶を思い出す記憶想起の力は比較的衰えませんから、正に幾つになっても想像力はあるのです。
そして過去の体験が多いということは高齢者の特権ですから、自分は年寄りだからなどと思わず、若い人達より豊富な体験や知識を活かして「年輪力」を発揮して欲しいと思います。
No39旅の本から−その2−
先回に続き、最近読んだ本からひとつ。
みなさんは以前、このコーナーで紹介しました若年性痴呆の女性の話を覚えておられますか?
先日その本人の著書「私は誰になっていくの?」−アルツハイマー病者からみた世界−が手に入り、早速講演先の四国までの道中に読んでみました。
彼女の名前はクリスティーン・ボーデンといい、オーストラリア政府の高級官僚でした。その彼女が46歳の時にアルツハイマー病という痴呆症になり、症状の進行と同時に退職・離婚・子育て・転居・再婚とめまぐるしい体験をしていく中で、常に前向きな生き方をしてきたことが書かれているものです。
いままで紹介されてきた痴呆に対する資料や本は、介護する側、研究する側のものであり、当事者である本人からの発言はほとんどなかったのですから、衝撃的とも言えることでした。
この中でクリスティーンさんは、アルツハイマー病の人にあまり反応がなく、ぼんやりと空中を見ていることに対して、理解する能力が低下している私達に対して、日々の暮らしの中であまりに多くの刺激にさらされるために、かえって大事なポイントがわからなくなっている状態であることなど、当事者でなければわからない痴呆の内面を教えてくれました。
また彼女は本の序章の中で次のメッセージを私達日本人に残しました。
「私は痴呆症患者ですが、だからといって怯えたり、恥ずかしがって隠れていたくはありません。痴呆症は、他の病気と同じように一つの病気であることを私は知っていますし、痴呆症患者も、敬意を払われ尊厳を保たれるべき価値のある人なのです。私はできるだけ長くこのまま良い状態に留まり、この数年間のうちには何か有効な治療法ができて、それを利用できるようになるかもしれないという希望を持ちつつ、前向きに痴呆症と共に生きていきます。私は痴呆症を持つ方たちが希望を持って生きられるように励ましたいのです。しっかり生きましょう。」
来年はアルツハイマーの国際大会が日本で開かれます。専門家だけではなく、多くの方にこの本を読んでほしいと思います。
No38旅の本から−その1−
以前にもお話しましたように、相変わらず飛行機嫌いの私は全国各地の講演会に列車で出掛けており、この時間を使って本を読むのが楽しみになっています。今日の話はその本の中から一つご紹介したいと思います。
グリムの昔話に「寿命」という面白い話があります。
簡単なあらすじを紹介しますと、神様が世界を作った時に動物の寿命を決めることになり、みんなに三十年の寿命を与えると言ったのです。
そうしましたら、ロバは荷役に苦しむ生涯が三十年もあるのは長すぎるということで、十八年減らして、十二年にしてもらいました。
同様に犬も年老いて物を食べる歯がなくなっては、うなっているだけでつまらないので、十二年減らして、十八年にしてもらいました。
そしてサルも同様に十年減らして、二十年にしてもらいました。
ところが人間だけはもっと長生きがしたいということで、ロバ・犬・サルの分をもらって七十年にしてもらったのだそうです。
だから最初の三十年は人間として生きますが、後の十八年はロバのように重荷に苦しみ、次の十二年は犬のように隅っこにうずくまり、最後の十年はサルのように間抜けになり子供達に笑われるというものです。
でもちょっと待って下さい。
グリムの時代は人生七十年かもしれませんが、現在の日本は世界一の長寿国です。
百歳以上が二万人もいて、平均寿命が八十を優に越えているということは、いったい誰の分をもらったことになるのでしょう。
さらに鶴は千年、亀は万年というのですからこの分はどこから・・・などなど考えていますとあっという間に目的地に着いてしまうのです。
象やライオンから力強さをもらったかもしれないと考えれば、明日の活力につながりますし、本をきっかけとして想像することは楽しい作業です。
いつも仕事に追われているあなたも、たまには子供のように無邪気にあれこれ想像する時間も必要ではないでしょうか?
No37ミシガン同窓会
外の寒さと対照的な熱燗が恋しい忘年会のシーズンがやってきましたが、ラジオをお聞きの皆さんもすでに多くの予定が入っていることと思います。
私も弱ってきた肝臓を気にしながら多くの忘年会に出席するのですが、その中にこの時期にしか会うことがない人達との忘年会があります。
それはアメリカのミシガン大学と日本が共同で10年間行なったチームケアに関するショートセミナーの同窓会で、国内の医師・看護師・機能訓練士・作業訓練士・臨床心理士・ソーシャルワーカー・ケアワーカー等がミシガン大学に行ってチームケアについて学ぶというもので、毎年20名位が選抜され実施されてきました。
私はこの二期生として参加したのですが、それまで職種間の交流があまりなかった我が国の現場とは異なり、お互いがフラットな立場で問題解決のためのチームを構成し活動している姿を目のあたりにして驚き、セミナーの期間中、本当に必死に学ばせていただきました。
この思いは参加者全員が共に感じたようで、セミナー終了後も何かと連絡をとりながら我が国におけるチームケアの確立を目指してきました。
そしてこのチームケアの取り組みはその後の介護保険導入時に、ケアマネジメントと同様に、このシステムの柱として実施されているのです。
さて参加者は国内全域からの選抜ですし、様々な職種で構成されていますから、時々国内向けのセミナーを開催しているものの、中々一堂に会する機会はありません。そこで忘年会シーズンにあわせて同窓会的に集まるようになったのですが、集まるたびに全国の仲間がそれぞれの地域で先駆的に取り組んでいる活動を聞くことができ、新たな発想のきっかけとなったりするなど大きな刺激を受けることができる事を喜んでいます。
参加者の中には政府の官僚や高名な大学教授等もいるのですが、同じ釜の飯を食べ、共通の課題にチャレンジした仲間としての絆は強く、これは10年の月日が流れても変わることはありません。
時には痛飲して辛い翌朝を迎えてしまうこともあると思いますが、時には美味しいお酒と楽しい会話で、心にも栄養になる忘年会に参加することも必要だと思います。
No36徘徊について
皆さんは徘徊って何のことだかわかりますか?これはボケたお年寄りが意味もなくあちらこちらに行ってしまったり、外に出たまま戻ってこれなくなったりすることとして使われています。まるで夜の街の酔っ払いのようなものだと思われているのです。
でも本当は今の状況を理解することが困難で、わからなくなったことの不安を抱えて何かを探している状態のことです。
先日、あるテレビ番組で外国の政府高官を勤めた女性が若年性痴呆になり、その心境を語っている番組がありました。彼女はちょっと前のことを覚えられない不安状態にある痴呆の人の内面を教えてくれたのです。今まで外から痴呆の人を見ていたものですから、痴呆になった本人からの言葉はとても重く、そしてとても教えられることが多くありました。
施設では「家に帰る」といって徘徊する痴呆のお年寄りに、よく「ここが家ですよ」といったり、出ていかれないように拘束したりする例があるのですが、どちらも本人のとってあまり意味の無いもののようです。また実際に自宅に行ってもやはり「家に帰る」と言って外に出ていかれる例は多くあります。
そのお年寄りが帰りたいのは、心の中にある自分の家のことですから周りの人がこれを引き止めたり、「ここが家でしょ」と言われても、本人にとっては違うのですから、何か嫌なことをされているということになり、その行動はさらに激しくなってしまいます。
先に紹介した女性の夫は自分のことを「ケアパートナー」だと言い、常に行動を共にして彼女の生活を支えていました。また彼女は夫のことを「一緒に人生を旅する人」と言い、とても落ち着いた素晴らしい笑顔を見せていました。
最近グループホームをはじめとする小規模サービスが脚光を浴びてきた理由も、施設という大集団では提供しにくい「寄り添うケア」の意味が理解されてきたものだと思います。
さてラジオをお聞きのあなたには、一緒に人生を旅してくれるケアパートナーがいますでしょうか?早速今日の仕事帰りに、プレゼントのひとつでも持って相手の機嫌をとってみてはいかがですか?
No35列車の旅から学ぶこと
私は月に数回県外での講演のために列車を使用しているおかげで、多くのことを学ばせてもらっています。
国内での移動は北海道でも鹿児島でも全て列車で移動しており、飛行機には海外での仕事以外に乗ったことがありません。理由は何よりも飛行機が嫌いであることはいうまでもありませんが、パソコンのバッテリーの性能が向上したおかげで移動中に仕事ができることや、ゆっくりとした時間の中で日頃できない読書や考え事ができることも大きな理由です。
また食べ物に目がないものですから、その土地その土地にある郷土色豊かな駅弁も魅力で、46都道府県の主要な駅弁は制覇しました。なぜ46都道府県かといいますと、時間の関係でさすがに船で行くわけにもいきませんから飛行機に乗らなければならない沖縄だけは行かないからです。
さて夜行列車も含めて、国内を走っているほとんどの車両に乗っていますからいろんなことに気付きました。
最初に気付いたことは大坂の地下鉄で車イスの指定場所を見つけたことです。
それは普通シルバーシートがある場所に車イスを固定できるフックとロープが取り付けられていたのです。これはしばらくしてから東京の地下鉄にも付きましたので、乗る機会がありましたら是非見てください。
それから新幹線では旧型のビュッフェがあった車両の入口側に車イス固定席がありますし、その車両だけは他の車両よりドアが広くできています。またマックスでは二階に車イスの固定席があり、移動リフトかエレベーターが付いています。もちろんその車両の近くに車イス対応のトイレがあることは言うまでもありません。
また面白いことに新幹線の走っていない北海道と九州の列車は最新式のものが多く、横になれる個室があったり、車イス用のトイレもポップカラーでデザインも中身も本当に素晴らしいものになっています。
しかしようやくメインの路線が整備された状況ですから、ローカルな路線、つまり日々の暮らしで使う生活に密着した路線の整備が遅れていることが残念でたまりません。
一日も早く日頃の足として使う路線がバリアフリー化されることを願っています。
No34介護保険の矛盾
介護保険は施行後四年目を迎え、四月には介護報酬が改定されたのですが、一般にはあまり報告されていない大きな変更があるのです。それは以前にもお伝えしましたように介護保険の仕組みが、在宅でサービスを受けるよりも施設利用のほうが負担が少ないということと、使える在宅サービスが少なすぎるということから、「施設待機者」が大幅に増加したことに対しての対策です。
介護保険法では施設利用の対象者を要介護状態1から5の人達と規定しているのですが、急増した申請者の多くが要介護1から2という比較的軽度の人達で、今すぐには使う予定はないのですが将来の不安のためにとりあえず申請だけしたということがわかりました。
これに対応するため受け入れ側の施設に対して、施設入所指針を作成して待機者の必要度を点数化したうえで、必要度の高い人から順に利用していただくようにするというものなのです。
このことは一見正しいように見えますが、施設の利用は介護保険以前から必要度の高い人が優先されてきたのですから、あえて今回点数化される必要はあまりなかったのです。また項目間の点数の重さが同じではありませんし、なによりも構成市町村のある施設では出資割合に応じてベッド枠があるのですから、たとえ空ベッドがあっても、同じ市町村の枠内で調整されることになるでしょうから点数は関係なくなるということです。加えてその人の過去の実績と要介護状態による介護の必要度は関係ないのに、施設の中には健康状態にあった時のボランティア活動などを施設に対する貢献度として加算するような所も現れてしまい、これでは社会保障制度の公平性が守られないことになり、受け入れ側も混乱しているように思います。
どうも要介護度1から2という比較的経度の人たちを対象から外すための仕組みに思えるのですが、介護保険法には対象者としておきながら運用方法で利用しにくくするという手法は避けなければなりません。その時点で一番必要な人が利用できるように適正な評価をすることの重要さと、そしてなによりも施設を利用しなくても暮らしを支えられるようにしなければいけないことを痛感しています。
No33行楽シーズンの苦い思い出
秋の行楽シーズンが終わりを告げ、気の早い人は冬支度をはじめられる頃ですが、皆さんはどこか旅行に行かれましたか?
私は行楽シーズンになりますといつもある苦い失敗を思い出します。
こぶし園でも世間一般の人達と同様に、行楽シーズンになりますと鮎を食べにやな場に行ったり、紅葉狩りやぶどう狩りなど様々な所に出掛けているのですが、これは施設開設当初の22年前に大きな失敗をしたことから得た教訓から現在のスタイルになったものです。
その失敗とは施設が開設されて間もない頃に、ある利用者の方から車イス生活になってから外に出たことがなく温泉に行きたいという希望をお聞きし、私たちも車イスでも温泉旅行はできるということを実証しようということになり、行きたい場所をお聞きし、行き先の設備の確認のために事前に下見に行ったりして一泊旅行を実施した時の事です。
行き先は福島県の東山温泉、道中ではころり三観音めぐりと白虎隊で有名な会津若松のお城に行ってくるというものでした。
そして希望だけではなく、往復の長旅に対応できる健康状態などのチェックが行なわれ、結果十数名の方が参加されることになりました。
大型バスの他に、車イスの人達用にポータブルトイレを積み込んだワゴン、そしてマンツーマンの介護体制に加えて、健康状態を維持するために看護師と医師まで同行するという重装備で出掛けました。
旅行はお天気にも恵まれ、参加された人達は満面の笑みで旅行を楽しまれたのです。
しかし実施して感じたことは、旅行に参加された方にとっては素晴らしいことだったのですが、行けなかった人達には大変申し訳のない事をしたことに気付いたのです。
この旅行を実施するためには施設の総力を上げないと実施できませんから、旅行に行かれなかった利用者の皆さんのところには最低限の介護スタッフしか残せず、行かれなかった多くの皆さんには最低のサービスしか提供できず、本当に迷惑をかけてしまいました。
この体験から現在の、既存の介護体制を守りつつボランティアの人達の力を借りて、なるべく少人数で個々のニーズに応える仕組みに変えたのでした。
No32文化祭と福祉の接点
文化祭のシーズン到来で保育園も小中学校も、さらには地域社会でも文化祭が開催されています。ということで私たちの老人ホームでも同様に文化祭を開催しますが、どうも他の施設とは違いがあるようです。
それはもちろん利用されている皆さんの作品展示をすることは同じなのですが、私たちのところでは家族の皆さんやボランティアの皆さんの作品と、地域の保育園や小学校の皆さん、そして地域社会の皆さんの作品も加わるのです。
そして郷土料理を試食したり郷土芸能発表したり多彩な取り組みとなっています。その理由は地域社会の公共資源としてある施設が活用されることと、中々外に出る機会が少ない利用者の皆さんが楽しめるようにしているためです。
こんな取り組みをしてきたことからか、現在では地域社会の小学校と中学校の文化祭の時に私たちこぶし園の部屋が用意されています。
ここで何をしているのかといいますと、作品展示ではなく車イスの試乗体験などの福祉講座をしているのです。
その理由は、人が多く集まる機会を利用して、福祉のことについて理解して欲しいと思っているからです。
中学校の文化祭は思春期を迎えた生徒が恥ずかしがるために、ほとんどお母さん達しか集まりませんが、小学校の文化祭は一年生から六年生まで子供達が多くいることに加えて、その兄弟・両親さらにはおじいちゃんやおばあちゃんまで参加するという、地域ではお祭を除くと最も人が集まるイベントですから、この機会を有効に利用したいと思って実施しています。
文化祭の中で誰かが車イスに乗っている姿を見れば、自然と興味が湧きますし、「なんとか教室」のように肩肘を張らずに気楽に参加することができます。
福祉のサービス自体が普通の暮らしを支えるためにあることなのですから、普通の集まりの中で自然に身に付けて欲しいのです。
孫が車イスを体験している姿を見たおじいちゃんやおばあちゃんは、本当に楽しそうに気楽に体験していかれますから、いつか自分自身が使用する時がきた時にも抵抗感が薄れていくのではないでしょうか。
皆さんの地域でも文化祭で実施してみませんか。
No31スウェーデンの福祉−その4−
今回はスウェーデンの最終回です。
先回お話しましたように施設機能の分散の実態を見せてくれたニーブロの隣町エンマブーダの老人ホームで見た風景は私たちが目指している方向そのものでした。
それは町の中心部の住宅街にひっそりとたたずむ築二十数年の古くなりかけた老人ホームを訪れた時のことです。
外見と異なり施設の内部はリニューアルされ、まさに「こぎれい」という状態だったのですが、スタッフからの説明では定員60名のこのホームには現在14名しか利用者がなく、今後も減り続けるということでした。
ここは当初二人部屋であったものを個室に変え、その個室も日本であれば四人部屋の広さでトイレも付いている部屋なのです。なのにこの町の中にある住環境の整った施設が否定されているのです。
この理由は在宅サービスを充実させたら、それまで暮らしていたままの生活が継続できるので、あえて施設を選ぶ必要がないということでした。
私は現在勤めている定員100名の施設を50名に削減し、四人部屋を分割して全室個室にし、さらに定員を25人まで削減して従来の四人部屋を個室として使えるようにしたいと考えていましたし、定員削減分は現在進めている地域社会に点在するサポートセンターでカバーする予定でしたので、その現実を目の前にしたのです。
そしてこの先に、今までの暮らしを継続できるサービスの拡充の意味を再認識させられました。
私は老後を施設で生活したいと思いません。また同居家族に介護負担をかけたいと思いませんし、自分自身が回りに気を使って生活したいとも思いません。
でも家族や友人と、また地域社会の住人としてそれまで築いてきた生活の中で最後まで暮らしたいと願っています。
スウェーデンで見た「その人の暮らし」を支えるサービスの仕組みは、私たちの今後の暮らしに対するあり方を具体的に教えていただいたように思います。
そして一日も早く「その人らしい暮らし」が支えられるよう努力しなければと心を新たにさせていただきました。
No30スウェーデンの福祉−その3−
さてまたまたスウェーデンの話です。
私たちと提携しているニーブロコミューンは、スウェーデンではよくある森林に囲まれた静かな町で、メインストリートを歩いていてもさほど人通りもなく、繁華街があるわけでもない本当の静かな町でした。
ホテルは旧市庁舎を改装したものが一軒だけ、室内には日本のホテルのような備品が何もありませんので、旅の生水を避けるためのミネラルウォーターを買うために商店街に出掛けたのですが、スーパーには炭酸水以外置いてありませんでしたし、物も豊富にあるとは言い難い状態でした。
もちろんゲームセンターやカラオケなんてとんでもないという感じなのですが、このことは生活が貧しいということではなく、生活の質に対する考え方の違いなのではないかと思えるのです。つまり週末はキャンピングカーを引いて自然の中でゆったりとした時を過ごすことなど、選択肢の上位に自分らしいゆとりを持った暮らしがあり、その他は下位の選択ですからさほど気にしないということなのではないでしょうか。
だから自分らしい生活を保障するための社会福祉サービスが進んでいるということなのだと思いました。
私はこんなイメージを持ちながらこの町の福祉サービスを一通り案内していただいた時にある感想を持ちました。それは私たちがこれまで進めてきた在宅サービスの方向性と考え方が全く同じだということだったのです。もちろん制度も財政基盤も生活習慣も違いますから、全く同じだということではありませんが、目指している暮らしの支え方の方向が同じなのです。
スウェーデンでも昔は日本の姨捨山と同じように姨捨谷というものがあり、その後施設収容に向かったことも同じです。しかしその後は施設収容を中心としている日本とは異なり、施設は特別な住宅として地域社会の中に存在し、その規模も日本とは比較にならないくらい小さなものですし、現在ではどこに住んでいてもフルタイム・フルサービスでその人の暮らしを支える仕組みに転換しています。
そして私たちが提案している施設機能の分散がまさに実施されている過程をニーブロの隣、エンマブーダの町で目のあたりにしたのでした。
つづく
No29スウェーデンの福祉−その2−
先週に続きスウェーデンの福祉の話です。
スウェーデンを訪問した際に驚いたことは、行きの飛行機の中からでした。
スカンジナビア航空で成田からデンマークのコペンハーゲンまで直行したのですが、スチュワーデスの方の年齢が異様に高かったのです。日本であればスチュワーデスさんはうら若い女性が当たり前と思われるでしょうが、失礼ながらどう若く見ても50代の女性なのです。
たしかに食事を運んだり様々なサービスを提供することと年齢は関係ありませんから、全く問題はありませんし、いくつになっても働けることの素晴らしさに感動すら覚えました。
デンマークのコペンハーゲンからスウェーデンまでは狭い海峡だけですから本州と四国を結ぶ橋と同じように15分もあれば横断できるのです。
私たちはレンタカーを借りて目的地のニーブロコミューンまでの300キロ近くを運転したのですが、ここでも驚きの連続でした。
一般道路の制限速度がなんと110キロなのです。どうしてかといいますと、人があまり住んでいないことと、森林地帯が多く北海道のように起伏のない直線道路がほとんどだからだと思います。
その道の所々に小さな町が現れるのですが、ほんとうに小さな町が多く、この小さな町単位でおこなわれている福祉サービスの仕組みを早く見たい欲求のためか、ついついアクセルを踏み込んでときどき制限速度を超えてしまう自分がいました。
世界の中で日本に次ぐ高齢社会であるこの国の福祉サービスの水準が、世界のトップレベルにあることは周知の通りで、それが新潟でいえば過疎の町にも浸透している事実を確認したかったのです。
そんな思いの中、予定よりも早く目的地のニーブロコミューンに到着したのですが、森林に囲まれた人口20000人のこの町は驚くほどの静けさで私たちを迎えてくれました。
つづく
No28スウェーデンの福祉−その1−
先日、長岡市で第三回レジデンシャルケア研究会議が開催され、北は北海道、南は沖縄まで全国から400人を超える人達が集まり、熱い議論がおこなわれました。
レジデンシャルケアとは聞き慣れない言葉だと思いますが、老人ホームなどのケアを提供している所の、ケアと住まいのあり方を見直すための研究会で、私もその発起人の一人であるために今回長岡での開催となったものです。
会議は厚生労働省の局長や課長さん、研究者や実践者の皆さんからの報告などで大変盛り上がり、基調報告では南スウェーデンにあるニーブロコミューンからアンさんという在宅サービス責任者を招き、スウェーデンのサービスの実際を報告していただきました。
その報告で大変興味深かったことは、スウェーデンの福祉施策は「住宅に始まって住宅に終わる」というものでした。
それは、スウェーデンのサービスをあえて日本の施設サービスにあてはめると老人ホームやグループホームなど四種類に大別されるのですが、全て「特別な住宅」という住まいとして捉えられているということなのです。
このニーブロコミューンとわたしたちこぶし園とは提携しており、スタッフの相互交流をしているのですが、訪問先で見せていただいた施設で提供されているサービス内容は施設と同様に24時間365日連続するもので、住まいはというと住宅と呼ぶにふさわしい内容でした。
全く一人で動くことが出来ない方の部屋にもシステムキッチンやシャワーにトイレ、そして寝室とリビングという構造なのです。
中にはワンルームマンションのような所もありますが、部屋のグレードで施設の種別を分けているといった感じで、どこに住んでもフルタイムケアが提供され、その人らしい生活が保障されているのです。
一人でできない人にそこまでの設備が必要なのかと疑問を持たれる方もおられるかもしれませんが、家族や友人が遊びに来ることを考えたら、ベッドしかない個室よりもこちらのほうが当たり前のことだと思いませんか?
つづく
No27痴呆の話−その3−
またまた痴呆の話です。
かなひろいテストなど、痴呆の治療で有名な浜松医療センターの医師金子満雄さんの著書「ボケてたまるか!」(角川文庫)で面白い話が載っていました。
それは数多くの症例を見てきた中で、「ボケる人はボケてしかるべき生き方をしている」ということに気付いたとの報告でした。
科学的な診断方法が開発されたものの、器質的な病因が見つかる者は全体の僅か7%なのだそうで、大部分は生活習慣病に属する老化や廃用型痴呆であるということで、つまり真面目一途の仕事人間タイプで、若い頃から勉強や仕事はできたかもしれないが、音楽にも絵画にもスポーツにも感動しない人で、親友や異性の友達もいないし、好奇心も少なく、人生をたのしむというようなことがない人がボケるということです。
これを称して金子先生は「ヘンクツ、出不精、遊び知らずのボケ」とよんでいるのだそうです。
また家族にもその要因が潜んでいるといい、おじいちゃんやおばあちゃんに声もかけない家庭ではボケてしまうと警告されています。
みなさんドキッとしませんでしたか?
そして早期のボケを逃れたとしても、定年を迎える60代、体力的にも仕事から離れる70代、そして還暦から2回目の成人式となる80代と3回のボケる節目を迎えると説かれているのです。
栄光の キャリアの末は 早いボケ
気兼ねして じっと篭って 待つはボケ
ともに金子先生の川柳ですが、早いうちに趣味を持ち、人生を楽しむ生き方を身に付け、家族の中の会話が途切れない家庭生活を築きたいと思います。
そして
ときめいて 生きる心に ボケはなし
恋もして お化粧もして 米寿かな
と生きたいものです。
No26痴呆の話−その2−
今回も痴呆の話です。
前回も厚生労働省の研究事業についてお話しましたが、前回とは別の研究事業で当時東京大学病院の院長であった松下正明先生を班長とした痴呆研究において病院や施設が果たす役割について研究したことがあります。
この中で当時の施設や病院の役割が、介護崩壊後の家族を支えるための緊急避難場所として、痴呆に対して適切な診断や治療ということよりもお年寄りを預かり、介護家族の崩壊を防ぐことを優先せざるを得なかった状況が把握されました。
また単身の痴呆の方の場合は生活能力が残されていても、火の不始末など周辺地域の人達への危険性を回避するために、施設や病院への入所・入院を余儀なくされている実態もわかりました。
このために、痴呆の有無や程度を診断するための評価・診断システムを開発し、痴呆診断センターを開発しましたし、まだ生活能力のある方についてはグループホームという痴呆の方の住まいを作りました。
グループホームは現在「痴呆対応型共同生活介護」として介護保険制度になりましたが、私達が県内で最初に立ち上げた頃は国の制度ではなく、全くの自主的な事業で全て自己負担によるものでしたので全国にも数十箇所しかありませんでした。
その後県内でも幾つかのグループホームができた段階で、とはいっても当時は8つしかありませんでしたが、全員で「新潟県痴呆高齢者グループホーム協議会」を立ち上げ、相互協力とこれから立ち上げられる所の支援を行なうこと、そしてもちろん痴呆高齢者のサービスの質を向上させることを目的としました。
グループホームは国の補助対象となり介護保険の制度となってからは急速に伸び、現在国内には3200ヶ所以上が整備されています。
しかし中には質の守れない所もあるのが現状ですので、第三者による評価とは別に協議会としても質の維持・向上に努めたいと考えています。
そしてこのためには地域社会の皆様の理解と協力、そして地域の皆さんから監視いただくことが重要だと思っています。
No25痴呆の話−その1−
今回は痴呆について考えてみたいと思います。「最近うちのお父さんボケてきたみたい」というように使われている「ボケ」と言う言葉の本名は「痴呆」という病気です。
私は20年ほど前にある民間財団の助成を得て、現在筑波大学で心理学を教えている先生と痴呆の研究をしたことがあるのですが、当時苦労したことは痴呆の初期段階が把握できなかったことです。
それは家族の人達に痴呆についての正しい理解が無いために、物をとられたりなくしたという訴えを、お嫁さんであれば姑が私をいじめるためにうそをついているのだと思われたり、また息子さんの場合は「あんなにしっかりしていた親がおかしくなるはずがない」と事実を受け入れられないために、外に出て行って戻って来れなくなったり、子供の顔もわからなくなったりという本当に重度になるまで専門家のところにこないということの結果からでした。
また初期の痴呆段階では本人自身にも自覚がありませんし、中度になっても自分が痴呆であるとは思っていませんから、病気でもないのにどうして医者にかからなければならないのかと受診を拒否されることが多かったのです。
よく使われている長谷川式スケールという痴呆テストでは「お年はいくつですか」「今日は何月何日ですか」「100から7を引くといくつになりますか?」というようなことを聞きます。
全く人を馬鹿にしたような質問と思われるでしょうが、痴呆になるとこれくらいの質問にも答えられなくなるのです。
痴呆という病気の一つであるアルツハイマー病は、アメリカの元大統領であったレーガンさんが自分はアルツハイマー病だと宣言されたことでマスコミでも紹介されましたし、最近では先日なくなられたハリウッドの俳優チャールズ・ブロンソンさんもアルツハイマー病であったことが紹介されています。
9/21は世界アルツハイマーデイで、日本各地でイベントがありますし、新潟県でもこの日に糸魚川で、呆けを抱える家族の会主催の講演会が予定されています。皆さんも参加して痴呆のことを考えてみませんか?
No24敬老の日
9月15日が何の日か皆さんはご存じですね。そうです敬老の日だったのです。なぜだったのかといいますと、今年から祝日が変わるからなのです。
敬老の日は今年から9月の第三月曜になって、連休が増えるということなのです。でも今年の9月15日は月曜ですから残念ながら今までと同じで、来年から連休になるということです。
では今までの9月15日はどうなるのかといいますと、「老人の日」という名前で残るのだそうです。そうしますと1週間も経たない間に老人の日と敬老の日があるということになります。
第三月曜日の祝日となる敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う国民の祝日」、一方9月15日の老人の日は「国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意慾を促す日」ということですから、かたやお祝いの日、かたや意識を高める日といったところでしょうか。
ちなみに、今までの敬老の日が9月15日になったのは、兵庫県多可郡野間谷村(現在の八千代町)の門脇政夫村長が提唱された「としよりの日」が始まりだということです。
「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、1947(昭和22)年から、農閑期で気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会が開かれました。これが1950(昭和25)年からは兵庫県全体で行われるようになり、現在のように全国に広がったのです。
でも「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝うこと」や「国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意慾を促す」ということは、共に年に一日のことではなく、常日頃心の中に持ち続けることが必要なことなのではないでしょうか。
そうです、毎日敬老のこころを持ち続ける社会を作りたいと思いませんか。
No23新しい介護方法の提案−その2−
先週は国に対して行なった新たな介護方法の提案について報告したところですが、時を同じく新潟県でも同様の機会をいただきました。
これは平山知事が主催されている「課題別懇談会」というもので、知事をはじめ関係部局長の皆さんに対して、学識経験者や県内の実践家6名がそれぞれ報告・提案させていただき、私はこの席上でも国に対して行なったものと同様の提案をさせていただきました。
中身はもちろん今後の介護のあり方についてであり、従前の大規模集約型の施設体系から、それぞれが暮らしなれた地域社会での生活を支えるシステムとして開発したサポートセンターに転換することについてでした。
このことは知事からも賛同いただき、提案についてたいへんご理解いただいたように感じました。
そしてこの席では地域社会、つまり地域住民の理解と協力が不可欠であることと、次世代である子供達に対する取り組みが大切である点を強調したのです。
介護を必要とする人達を支えるのは施設や専門職の人達だけではありません。
介護は人の生活、つまり人生を支えていくということですから、身体介護や精神介護だけでは不十分であり、地域社会の住人を周囲が支える視点が不可欠だということなのです。
そしてこのことを継続していくためには次世代に対する取り組みが重要であるということは言うまでもなく、新たな介護の仕組みは、どのような状態になろうとも地域社会の中で普通に暮らしていくために、地域社会の隣人が支え合う意識を持つ事を前提としているということなのです。
諸外国のような異文化・異人種の人達で構成されている社会ではなく、同じ文化・同じ人種で構成されている私達には最も実行しやすい条件があるということなのではないでしょうか。
日本に生まれてよかったと思っています。
No22新しい介護方法の提案−その1−
先般厚生労働省老健局長の私的委員会として、さわやか福祉財団理事長の堀田力さんを委員長とした高齢者介護研究会によって作成された「2015年の高齢者介護」という報告書が発表されました。
これは我が国の高齢者施策のターニングポイントとなったゴールドプラン・新ゴールドプラン、そしてこれらの整備後にスタートした介護保険と平行して進められているゴールドプラン21に続く、今後の高齢者介護の新たなビジョンを示すものとして注目されているものです。
この中身は「高齢者の尊厳を支えるケア」を確立するために、@介護予防・リハビリテーションの充実A生活の継続性を維持するための新しい介護サービス体系B新しいケアモデルの確立:痴呆性高齢者ケアCサービスの質の確保と向上、の四点を柱としています。
またこの報告書で明記している2015年とは、昭和二十年代前半生まれの第一次ベビーブームの世代全員が65歳以上になることを示しており、世界中のどこの国でも経験したことの無い超高齢社会に対応するための仕組みをつくる基本デッサンとして作成されたのです。
私はこの研究会の皆さんに対して、私達が進めている施設機能の地域分散手法であるサポートセンターを説明させていただき、共感と賛同を得ることができました。ですから報告書の随所にサポートセンターの仕組みが触れられていますし、現在もワーキングチームに参加して具体的な仕組み作りをしています。
従前のような、町外れの老人ホームに介護を必要とする大勢のお年寄りを集めてきた仕組みから、それぞれの住み慣れた地域社会において、普通の住環境の中で専門家の介護を受ける仕組みが求められているのは当然のことと思いますし、あなたが利用するとしたら言わずもがなのことではないですか?
このような話題は、自分のことではないと思って聞かれている方がほとんどだと思いますが、高齢者介護の話はいつも言っていますように、限られた誰か他人の話ではなく、必ず高齢者になるあなたと、あなたの世代を支え、そして高齢者になっていくあなたの子供達の話だということをお忘れなく。
No21夏祭り太陽の広場
私が勤務している高齢者総合ケアセンターこぶし園は現在45事業を市内の13ヶ所で運営をしているのですが、その本体がある深沢町には病院や障害・児童福祉等の施設群があり、ここでは毎年8月第三もしくは第四土日に太陽の広場という夏祭りを実施しています。
実施している理由は、ここで生活されている皆さんの楽しみの場として、そしてここに働くスタッフとして共に働く意識を高めること、それから地域社会の皆さんとの相互理解を深めるためです。
プログラムは毎年順番で担当する施設と全ての施設から選出される委員の皆さんで考えますから、毎年違う内容となり期待されています。
ちなみに今までの例をご紹介しますと、近隣小学校の聖火リレー、三輪車レース、地元の落語家こんぺい師匠のトーク、ミスターマリックのマジック、元X−ジャパンのボーカルトシさんのコンサートなどなど多彩な催し物が続いています。
これに定番となっている近隣保育所・幼稚園・小学校の皆さんによる太鼓やブラスバンドなどの演奏、隣にある長岡技術科学大学の悠久太鼓、そしてこれに各施設の皆さんの出演が加わり、主催者発表で8000人の参加という大規模な祭りとなります。
また祭りという名の通り、綿飴やカキ氷、焼きそばなどなどの定番の食べ物類や蚤の市、さらにはゲームコーナーもありますし、ここで生活されている皆さんが製作されている作品や育てられている農作物などの販売もあります。
そして特筆されるのはこの運営に地域の皆さんによるボランティアが200人くらい協力いただいているということです。
今年は23日と24日に開催され、サッカーのアルビレックスの選手が出演予定となっております。
みなさんもボランティアとして、また観客として参加されませんか。
きっと社会福祉サービスに対する認識が深まると思いますし、地域社会の共同、つまり共に生活することの意味を感じていただけると思います。
No20墓参りツアー
子供達は夏休み、働いている大人もお盆休みのシーズンですが、私たちはこのシーズンになりますとかえって忙しい日々を送ることになります。
それは高齢者の皆さんにとって先祖の墓にお参りするという大切な行事があるということと、過去一年間になくなられた方々の新盆の行事があること、そして地域の皆さんと共に行っている夏祭りなどが目白押しにあるのです。
中でも聞きなれない言葉でしょうが「墓参りツアー」なるものを20年前から実施しているのです。
これは老人ホーム等を利用されている方々を対象として、希望されるお寺、ご縁のあるお墓にお参りに行くというものなのですが、中々大変な事が多く、付き添うスタッフはいつもおおわらわの状態です。
墓参りに行くために外出着を選ぶことから始まり、かすかな記憶の奥にあるお寺や墓を思い出し、地図を広げて場所を確認します。
そしてほとんどの皆さんが車イスを利用されていますから、真横になれるフルリクライニングの車イスなどの手配、乗っていく車イス用の専用車両の手配、そして運転と付添いスタッフの手配等、出掛けるまでにしなければならないことが山ほどあります。
加えてもっとも大切なこととして、出掛けられるご本人の体調を確認し、やっと出掛けることになります。
そして地図を片手に迷いながらやっとお寺に着くのですが、ここからがまた大変。みなさんもご存知のように、バリアフリーのお寺などそんなにあるはずがありませんから、スタッフふたりで抱きかかえて本堂にいってご本尊にお参りし、続いて墓を探すのですが、こちらも車イスが楽々通れるような環境ではありませんから目的のお墓にたどり着くまで悪戦苦闘が続くのです。
しかしお参りされているお年寄りの安堵した表情を見ますと「あ〜きてよかった」と心から思わされますので、「また来年来れるように元気でいましょう」と声をかけ帰路につくのでした。
No19障害は周りの人々−その2−
先週の障害があっても周りの人と物の環境用件を整備することで障害にはならないという話の続きですが、元厚生労働省の障害福祉課長で現在宮城県知事の浅野史郎さんの著書「豊かな福祉社会への助走パート2」には車椅子生活の女性がアメリカに留学した時に、障害を感じることのない生活環境と周囲の人達のおかげで「自分が障害者であることを忘れた」体験を紹介していますし、スポーツキャスターとして活躍されている乙武洋匡さんの著書「五体不満足」の中でも、誰も自分に注目してくれないし車椅子など珍しいことではなく、普通の人になれる体験が紹介されています。
私自身もミシガン州アナーバーにあるミシガン大学に行った際に、近くの遊園地に行って驚いた経験があります。
それは遊園地の中を走る電車、日本ではおサルの電車のようなものですが、車椅子の人がそのまま乗れるようにリフトが付いているのです。
またその電車に乗るための行列はスロープになっていて車椅子の人達も普通に並ぶことができるのです。
そしてバービー人形の友達に車椅子に乗った障害者ベッキーちゃんがいることや手話をするバービー人形があることなどを知ると、障害があることは背が高かったり低かったりすることと同じもので、乙武さんの言葉を借りれば「身体的特徴」でしかないことに気付かされます。
実際に自分の目で見て体験しますと、障害というものは本人の体のことではなく、それを取り巻く生活環境や周囲の人達の意識のことではないかと思わされるのです。
しかし紹介した三冊の本にはいずれも同じ体験が紹介されるのですが、残念なことに日本に帰ってくると普通の人から再び障害者になってしまうと書かれています。
経済大国となった日本なのですから、一日も早く障害を障害でなくなるような生活環境を作り、隣人を普通に支えられる豊かな心を持ちたいと思います。
皆さんも一度読んでみられてはいかがでしょうか。
No18障害は周りの人々−その1−
先日以前から読みたかった本がようやく手に入り、その面白さと共感することだらけの内容に、独りでうなずきながら深夜まで読み続けていました。
読んでいたのはバイク事故による脊髄損傷のために下半身麻痺となり車椅子生活になった松上京子(まつうえきょうこ)さんの著書「車椅子から青空がみえる」でした。
共感するところを抜き出しで紹介しますと「事故にあってからかわいそうにという言葉を何度聞いたかしれないが、何の責任もなく発せられるその言葉は、私の助けにはならない。面と向かってかわいそうにねぇと言われてなんと返事をしたらいいのだろう。はいはいかわいそうなんでございますと言うのは変だし、いえいえとんでもございませんと言うのもおかしい。そもそも私はそんなに不幸な人間なのだろうか。私はいつまでも他人からかわいそうがられ同情され続けるのはいやだ。悲劇の主人公みたいに障害にめげずひたむきに生きるなんていうのもいやだ。もっと自然に私らしく楽しく生きたい。」と言うところで、彼女は「自然に私らしく楽しくいきたい」を実現するためアメリカのオレゴン州ユージーンに留学し、以後様々なチャレンジを行い、遂にはカナダの大河ユーコーン川をカヌーで下った。
しかしこの本の魅力は脊椎損傷の障害者である松上京子さんだからということではなく、前向きな人生を目指すチャレンジ精神旺盛な普通の女性として魅力を感じるということで、障害については時々そういえば脊椎損傷があったのか、そうだ車椅子生活だったのだということに気が付く程度なのです。
つまり松上京子さん個人の生き方に共感する本なのですが、一方でこの本は障害の本質を気付かせてくれていると思っています。
どういうことかというと、障害があっても周りの人と物の環境用件を整備することで障害にはならないということで、元厚労省障害福祉課長で現在宮城県知事の浅野史郎さんによる「豊かな福祉社会への助走パート2」、スポーツキャスターとして活躍されている乙武洋匡さんの「五体不満足」にも全く同様の体験が紹介されていることでも理解できるのです。
No17ビールと点字
夏です。ビールのおいしい季節がやってきましたが、今年の夏はビールを飲む前にちょっと見て欲しいところがあります。
それは缶ビールのプルトップのところなのです。
よく見ていただきますとプルトップの近くに小さなつぶつぶが付いているはずです。実はこれが視覚障害者の皆さんのための点字というものなのですが、なんと書いてあるかご存知ですか?
以前から言ってきましたように、我が国では小中学校時代に福祉のことを習うことがない不思議な国ですから、ほとんどの方が読むことができないと思います。
ビールに付いている点字ですから当然ビールと書いてあると思うとこれが大間違いで、なんと「おさけ」と書いてあるのです。
目の不自由な方は点字をさわっておさけだと思って飲むと炭酸の入っているビールなのです。何かおかしいですね。
ではカップのおさけになんと書いてあるかというと、何も書いてありませんし、ジュースなどの缶類にも何も書いていないのです。
コストが高くなるからかと思うと、これもどうやら違うようです。
それはあるジュースの缶にはわざわざ打ち出し文字でプルトップの空け方が付いてあるのですから、これを点字に変えることは簡単だと思います。
また北海道で食べた駅弁に付いていたソースとしょうゆの小さな容器にも点字が付いていましたから、業者のちょっとした配慮で可能になることだと思うのです。
要は一般社会の常識として、障害があることをもって社会的に不利な状況にしないで、障害があっても普通に暮らせる配慮を持つことだと思います。
点字はわずか1.4ミリの小さなつぶつぶですが、その小さなつぶつぶを付けるだけで普通の生活ができることを知って欲しいのです。
そしてビールにはビールの点字を、ジュースには何のジュースかわかる点字を付けることが当たり前のことだと思います。
皆さんもビールを飲む前に、隣人に点字を必要とする人達がいることを思っていただけたら幸いです。
No16ボランティアについて−その2−
今年も私が理事をしているNPO法人長岡医療と福祉の里ボランティア連合会によるボランティアスクールの時期が近づいてきました。
これは昭和60年から実施しているもので、一泊二日の中学生コースと二泊三日の高校生以上を対象としたコースがあり、毎年7月の下旬から8月の上旬にかけて開催しています。
ここで行なわれている研修の中身は、ボランティアに関する基礎知識に始まり、施設での体験も含めた総合的なプログラムが組まれています。
初めての参加に戸惑う子供達も、最終プログラムが終了する頃にはいきいきとした表情の変わり、成長した姿を見せてくれますし、高校生以上のコースでは高校生や大学生に混じって親御さん達の年齢の方も参加されるなど幅広い層の人達が学ばれています。
そしてスクールを卒業した人達の多くが、この体験を活かして継続的なボランティア活動に移行されていることが私達にとっても嬉しいことでありますし、この結果が年間延べ二万人以上の活動となっているのです。
子供達の中には受験時の内申書を意識して参加する人もいるかもしれませんが、動機はどうあれ「体験」は事実ですから、体験した本人には何らかの影響がありますし、少なくとも「ボランティアを知っている人・体験した人」になることは変わりありません。
自分自身の行動が他の人のためになる喜びを知ること、そして自分自身も他の人に支えられていることを知ることに理由は必要ないことだと思っています。
またボランティア活動は人という漢字に現れているように「人間が支えあう動物であることを確認できる」体験ですから、本来であれば小中学生の時代に親御さんと一緒に体験し、お父さんやお母さんの姿から子供達が学んで欲しいと願っています。
今年のプログラムは既に定員を超えてしまいましたが、皆さんも一度参加されてみてはいかがでしょうか?
No15ボランティアについて−その1−
私はある大学でボランティア活動論を担当しているのですが、最近のボランティアの対する認識に若干のずれを感じています。
それは有償ボランティアという言葉についてです。
ボランティアの語源はラテン語の自由な意思からきており、志の有る者と書く有志者、志願者、さらには奉仕者と訳され、自らの意思で主体的に活動を行なうこと、社会のためになる活動であること、そして有償ではなく、無報酬の活動であることを三原則としているのです。
しかしただでしてもらうとかえって頼みにくいから多少の負担をしたいということと、提供する活動自体は無償でも活動にかかる必要経費、たとえば交通費やガソリン代の実費などを負担してもらおうということから、無償を原則にしているボランティアに対して、有償ボランティアという奇妙な日本語ができてしまったのではないかと思っているのです。
義務教育の過程に福祉が入っていないことは既にお伝えしたとおりですが、ボランティアについてもボランティア指定校になるか、熱心な先生がいない限り学ぶ機会がないのですから、その意味を理解されないまま有償ボランティアという言葉だけが一人歩きしているように感じます。
数年前に全国の一万人の大学生に対してアンケート調査が実施されたのですが、その時にボランティア活動はお金をもらうべきだという意見が半数近くに及んだ事実がそのことを如実に表しています。
多少負担をして気楽に頼みたいということであれば、会員制の相互扶助組織としてボランティアの名前を使わなければ良いことですし、必要経費を負担してもらう活動であれば、気楽に立ち上げ運営するにはハードルが高すぎる欠点があるものの営利を目的としないNPOという特定非営利法人活動にすることが必要だと思います。
いずれにしても支えあいながら生きることを原則としている人間社会の当たり前のこととして、またそれぞれの内にある善意を確認するためにも、本当のボランティアの意味を考えてみたいものだと思います。
No14トイレの話
今日は少し臭う話で恐縮ですがトイレの話をしたいと思います。
私は仕事で全国を回っているのですが、職業柄といいますか、外に出掛けるときにはよく車イス用のトイレを使用することが多いのです。
これはそれぞれの地域社会の障害者対策を確認する意味で重要ですし、大学などで教えている手前、教材としても役に立つからです。
現在はバリアフリー法という法律もありますから、いろいろな所に車イス用のトイレが整備されるようになってきたのですが、最近あることに気付きました。
それは高速道路のトイレのことなのですが、高速道路のパーキングエリアに車イス用のトイレがあることを皆さんはご存知でしょうか?
トイレのマークには、子供、妊婦さん、お年寄り、そして車イスが描かれていますから、それらの人が使用してください、ということなのですが、あまり利用されている姿を見ることがありません。
中には車イスに対応するトイレと、横になれるベンチくらいの診察台のような台が置いてあり、いずれもかなり広いスペースが用意されています。
ここで面白い発見をしたのですが、全国のどこに行っても障害者用とされているトイレの手洗いの蛇口の多くが手動式なのです。
皆さんが日頃使用されているパーキングエリアの蛇口はどうでしたか?
おそらく使用されている多くが自動式になっていたと思います。
何かおかしいと思いませんか?健常者といわれている人達の蛇口が自動で、障害者用といわれている所が手動式なのです。
私はこれを見た時にあっと思いました。そうです障害者といわれている人達は、自分の使った手洗いの水を止める事が出来る極めて健常な方々で、健常者といわれていた人達が、実は使った蛇口を閉められない「出し忘れ症候群」もしくは「無責任症」という障害者だったということなのではないでしょうか。
No13親子オリエンテーリング大会
梅雨入り前の6月8日日曜日に長岡市関原町で第二回親子オリエンテーリング大会が実施されました。昨年は悪天候のために二回の順延後中止となってしまいましたので、今年は梅雨入り前のこの時期を狙っての開催で、みんなの願いが通じたようで晴天に恵まれました。
親子オリエンテーリング大会とは言葉のように子供とその親がペアとなって、町内に設定されている様々な課題にチャレンジして、時間と得点を競う大会です。例えば車イス体験では設定されたコースを、空き缶を倒さずにまわってきたり、子供のブラインドウォーク、親のブラインドウォーク、親の健康チェックといった体験に加えて、各チェックポイントで設定された問題に答えながら町を一周するものです。
この大会の主催は町の地区社会福祉協議会ですが、介護を学ぶ学生達がボランティア活動実習の一環として協力してくれていますし、私達高齢者総合ケアセンターこぶし園も全面的にバックアップしています。
どうして高齢者サービスを担当している私達がこのような会に協力しているかといいますと、社会福祉活動に対する基本的なことを学んでいただく機会を提供したいということと、なによりも介護や年金など高齢者を支える中心である30〜40代の大人達にそのことを伝えたいからです。
この年代は自分自身の仕事に対する成長期でもありますし、家庭では子供の教育や家のローンのことなど、普通に暮らしていてはいずれ訪れる高齢期のことを考える機会はありません。また子供とともに体験することで、次の世代を支えていく中心となる子供達にもそのことを伝えることができるからです。
もちろんそんな意図がダイレクトに伝わるというより、楽しみながら福祉のことを学ぶ機会となっていることはいうまでもありません。
またこの活動は、町の中をみんなで回りますから、参加していない地域社会に対しても影響を与える啓発事業としても重要な意味を持っています。
みなさんの地域でもチャレンジしてみませんか?
No12子供と高齢者−その2−
私は子供や高齢者が共に支え合い生きることの意味や、より良い社会生活を支えるための仕組みである社会福祉の意味が、義務教育の中にすら組み込まれていないために、子供たちがその意味を知らないまま育ってしまうのではと危惧しています。
誰もが老いることや共に支え合い生きることは昔であれば大家族の中で、また大家族のような密接な地域社会の中で自然に学ぶことができたのですが、現在のような職場を中心とした社会や家族が広範囲に分散する社会では困難になりましたし、社会福祉の仕組み自体も学ぶ機会がありません。
以前社会福祉協議会が中心となり小学生向けの福祉読本の作成を担当したことがあるのですが、本が作成されてもそれを学ぶための授業がないことを知り愕然としたことがあります。
私たちは昭和57年のこぶし園開設以来、地元の保育園・小学校・中学校の子供たちとの交流を進め、現在も相互交流を続けています。中には通っていた子供たちの中からこぶし園に勤めるようになった人もいるのですが、これは明日の社会を担う子供たちを育てることに関与することが社会福祉に携わる者の使命だと思うからです。
また親子関係ではそれぞれの思いが直接絡みますが、おじいちゃんおばあちゃんと孫の関係は無垢な関係が成り立ちやすく、さらには高齢者の皆さん自身の役割を再認識していただきたいと思うからでした。
子供たちが一生懸命に高齢者の皆さんに何かをしてあげたいという純粋な気持ちはストレートに伝わりますから、お年寄りも自分たちに何かしようとしている子供たちを優しく誉めてくれます。この誉められることで子供たちは自分が誰かのためになれるのだという有用感を成長させることができるのだと思っています。
育児や子供の教育に高齢者の関わりは不可欠だと思いませんか?
No11子供と高齢者−その1−
長岡では粽を5月の子供の日でなく、一月遅れの今頃作ります。旧暦の行事ということもあるのでしょうが、田植えシーズンが終了したからということなのかもしれません。さて日本の平均寿命が世界一となり、介護保険など高齢社会に対する様々な取り組みが行なわれていることは周知の通りですが、高齢者対策と密接な関係にありながら意外と知られていないのが子供との関係です。
よく耳にする高齢化率とは総人口に占める65歳以上人口の割合のことで、7%を超えると高齢化している社会、14%を超えると高齢社会に突入したということなのですが、日本は昭和45年に7%を超えて以来、僅か25年後の平成7年に14%を超え高齢社会になっており、平成12年では17.1%と世界のトップになっています。また新潟県では国よりもかなり早く進行しており、平成12年では21.0%、山間地ではなんと40%を超えている状況があるのです。
しかし高齢化率は全人口に占める高齢者の割合を指すのですから、高齢者がいくら増加しても、同じように子供達も増加していたらその割合は変わらないということになります。
つまり現在高齢化率上昇している大きな原因は子供が少ないということで、平成9年からは15歳未満の子供よりも65歳以上の高齢者の方が多くなっているのです。
また一人の女性が生涯に出産する子供の平均が2.08人ありますと人口が上下しない数値といわれているのですが、現在この数字は1.34人まで下がっていますので人口自体も減少し、高齢化率もさらに進むことが予測されているのです。
このため高齢化対策と同時にエンゼルプラン・新エンゼルプランという子育てを支援する制度が作られ実施されており、このおかげか私の職場では現在出産ブームを迎えており、7人が産休・育児休業中という喜ばしい状況です。
仕事の面では大変なこともありますが、働く女性の出産・育児を守れなかった結果が現在の高齢社会を作り上げたのかもしれないのですから、しっかりと支え、もっと多くの子供が育てられる環境を作りたいと思っています。
No10住まいへの疑問
生活の場とか終の棲家といわれながら大きな集団と雑居部屋が主流だった特別養護老人ホームの世界は、ユニットケアという10人程度の小さな生活環境と個室化に向かい始め、先ごろようやく新潟県内にもその第一号がスタートしました。今までの仕組みと比較したら格段の進歩と言えそうですが、それでも私はいくつかの疑問を持ってしまうのです。
それは新しい仕組みでも、効率的な経営を行なうために結果的には50人から100人という大集団を形成するために、今までと同様に広い地域から利用者が集められ、多くの利用者にとってそれまでの生活から切り離されることにかわりがないということです。
またこの新たな仕組みでは一月あたり5万円程度の部屋代を負担しなければなりませんから、介護費用とあわせて一月に10万から12万円程度の負担となり、年金収入でまかなうことは大きな負担になります。
加えて新たな老人ホームの建設には1ベッドあたり1500万から2000万円位の費用がかかるのですが、利用者が実際に使える広さは8畳程度しかありません。
1500万から2000万円という金額は4LDK程度の一軒家が購入できる金額なのに、8畳程度しか提供されない理由は、ホテルのように豪華で広いエントランスホール、どんな地震にもびくともしないような大きな柱や広い廊下など等、生活の主体である利用者個人にとってさほど必要でないかもしれない立派な玄関等の共有面積が広いのです。ですからそこに住まない見学者から見ますと大変立派に見えるのですが、普通の暮らしという視点からは貧弱だということです。たとえ車イス生活や寝たきり生活になったとしても、家族や知り合いが気兼ねなく訪問でき、そこに宿泊したり、そこでお茶や簡単な食事を作って楽しむスペースを求めることは贅沢なことなのでしょうか。私はドアを開けたとたんに着替えている姿を見られたり、ポータブルトイレに座っている姿を人には見せたくありません。私は普通に暮らせる生活環境が欲しいと思っています。
No9連休について
ラジオをお聞きの皆さんは四月から五月の連休をいかかがお過ごしでしたでしょうか。もう八月のお盆休みを待ち遠しく思っていられる方もおられることと思いますが、私は大学を卒業して以来、知的障害児施設・重症心身障害児施設、そして現在の高齢者総合ケアセンターと年中無休の職場に勤務してきましたので、カレンダーの連休とは無縁の世界にいます。
自分で選んだ仕事が人の生活を支えることですから当然のことで気にしたことはなかったのですが、今年のお正月に連休についてある新聞に投書したことがあります。それは正月休みをとる在宅サービス事業者が多くあったことに疑問を持ったからでした。ご存知のように施設や病院では人が暮らしているところですから休みなどないはずですが、在宅サービスでは今までも休みが当たり前のようにあったのです。
では在宅サービスが休みの時は誰が介護をしていたのかというと、ご家族が休みを返上して介護に当たったか、あるいは介護に専従する家族がおられた所にだけ在宅サービスが提供されていたということになります。また最近では在宅サービスが休みの時はホテルに宿泊する高齢者もおられるというショッキングな話も聞いています。
警察や消防署そして人の暮らしを支えている職業に休みはないはずなのに、どうして休んでしまうのでしょうか。
まして人の暮らしの中でも休むことのない食事・排泄・入浴を支えるサービスを提供しなければならない在宅サービスを休むということは、ご家族に対する甘えや職業意識が希薄だといわれても仕方のないことだと思います。
介護保険において在宅サービスは民間事業者にも参入の道が開かれ、サービス量の拡大とより使いやすさが期待されたのですから、人を支えるサービスの基本である毎日の暮らしを休むことなくしっかり支えるものにして欲しいと思いますし、サービスの質を監視するのは使う側の皆さんですから、新聞の折り込みチラシで買い物をチェックすることと同じように、事業者をしっかり評価して欲しいと思います。
No8老人ホームに入りたい?
私は長年高齢者福祉の現場で働いているのですが、最近特に気になることがあります。それは施設待機者が急増しているとか、老人ホームが必要だからもっと作らなければならないという声です。
皆さんも先の選挙の時に何回も聞かれたことと思います。
どういうわけか選挙の時期になりますと名前しか連呼しない立候補者の多くが、言い方は失礼ですが素人のような知識しかないのに、にわかに福祉福祉と叫び、老人ホームを作りたいというのですが、私にはどうもその言葉が眉唾に聞こえてなりません。
その理由は、全国をくまなく探せば多少はおられるのかも知れませんが、歴代の総理大臣や国会議員、県知事や県会議員、そして市長村長や市町村議会議員の皆さんが老人ホームを利用している姿を見たことがないからです。障害を持つことは職業と関係なく誰にも可能性があるはずですし、生きていれば間違いなく全員が老人になります。なのに出会うことがないというのはどういうことなのでしょうか。
もしかしたら老人ホームを使わなくても暮らせる方法を持っている人達が作らなくてはならないと言い、老人ホーム以外に生活を支えることができない人達がいつまでたっても過重な介護生活や望まないホームでの生活を続けているということなのかもしれません。
それから施設待機者という言葉ですが、本当に自宅から離れ、家族や知人から離れて老人ホームに入りたいと思っている人がいるのでしょうか?
私は施設待機者の本当の名前を「在宅生活困窮者」だと思っています。施設待機者と言ってしまうと老人ホームに入りたくて待っているということになり、自分は使わないという人達が老人ホームを作る理由にしかねません。在宅生活困窮者ということであれば、在宅生活で困っている問題を解決することが必要になるということで、在宅生活の延長に焦点が当てられるのではないでしょうか。
No7介護報酬の改定について−在宅編−
今週は先週に引き続き介護報酬の改定に対する疑問の中で、在宅給付について考えてみたいと思います。
今回の改定では在宅サービスの給付が引き上げられ、集団ではなく個別の訓練が評価されたことや、痴呆の人達の生活を支えるグループホームにやっと夜勤者の配置を促進するための加算が付けられたことなどが評価できますが、民間参入の中でも最も多い訪問介護事業の救済とも思える生活支援が大幅に引き上げられたことが気に懸かります。
これは新聞でも大手の訪問介護事業者が引き上げを評価している旨の報道がありましたが、施設のような連続的な介護による支えがなければ続けることが難しい在宅生活において、家事援助の延長のような生活援助が大幅に引き上げられると、本当に必要な身体介護に使用できる費用が減り、また給付の引き上げはサービス提供側にとっては収入は上がるということですから、利用者自身にとってはかえって負担が重くなるということなのです。
そしてこのことにより連続する介護を支えることに割く力が阻害される結果となるのではと危惧しています。
私は大学でボランティア論を担当していたり、地域のボランティアの養成に関与していますが、地域の人達やボランティアの人達がおむつ交換をしたりお風呂の介助など身体介護を支えることは困難ですし、また受ける人達もそのことをのぞんでいるとは思いません。地域の人達やボランティアの人達こそ、生活援助の中の掃除や洗濯や買い物等を担当して、そこにかかる費用を連続的な身体介護に当てるべきだと思うのです。
そして徹底した生活援助を成し得た北欧社会の自己負担に遠く及ばない日本の社会保障の仕組みにおいては、例えば施設は重介護に限定し、軽介護には中途半端なサービスではなく、徹底して連続的な介護を提供し在宅生活を支えるような改定が求められている時期が来たのではないかと思っています。
No6介護報酬の改定について−施設編−
平成12年の介護保険法から3年過ぎた今年4月から、介護報酬が改定されました。内容は介護保険の中で一人勝ちと言われた特別養護老人ホームの給付額が大幅に引き下げられたこと、居宅サービスの中でも訪問介護の旧家事援助と複合型サービスに該当する「生活支援」が30%もアップしたこと、そしてケアプランの作成費用が介護度別ではなく一律になった点などが大きな改正点でした。
つまり総額を変えないことを前提に、施設への給付を下げ、その分在宅給付を引き上げたことにより、在宅サービスを強化したということなのです。
しかし今回の改正ではいくつかの疑問点が残りました。
それはまず施設給付の内容で、要介護度の低い人の引き下げ幅が大きく設定されていることです。このことは介護保険の導入の目的が在宅生活を支えることを目指していたのに、現実とは全く逆に施設利用の希望者が大幅に増加してしまったことに対して、この要因として要介護度の軽い人が将来の準備として入所申請されたことを挙げて入所要件の見直しが図られ、今回の改定ではそれを後押しするかのように要介護度の軽い人の給付額が大幅に下げられたということです。
しかし入所要件の見直しは法律の改定をしないで行われているために、施設利用の申請は従来通りできるのですが、施設からは給付額が低いために拒否されやすくなるという矛盾を生むことと、給付額自体が下げられたということで、利用する側にとっては負担が軽くなるわけですから、要介護度の軽い人の施設申請がさらに増加するという矛盾を生むのではないかということです。
さらにその他の人達の施設給付額も下げたのですから、施設志向はさらに強まることが懸念されます。
これでは施設志向を標榜した介護保険の目的とはかけ離れてしまいますから、施設を利用しなくとも生活を支えることのできる仕組みが早急に作られなければならないと思います。
No5きばらしケア?
皆さんはダイバーショナルセラピーってご存知ですか?
多分日本国内でもこの名前を知っている人は僅かしかいない、まだまだ未開発な分野の仕事のことです。
この仕事はオーストラリアでは正式な資格として、大学の教育課程に組み込まれているもので、直訳しますと「きばらし療法」ということになります。気を晴らしてくれる取り組みとはなんとも素敵なことだと思いませんか。
私は以前厚生労働省の課長さんに頼まれ、この資格を養成するプログラムを計画している団体のお手伝いをした経緯があり、こぶし園ではスウェーデンで長年介護経験を積まれた方を採用しこの「きばらし療法」を実践しています。
わかりやすく説明するためにかなり荒い言い方をしますと、個人の希望にそった活動的なサービスを提供するホームヘルパーのような仕事ということになります。つまり一般に理解されているホームヘルパーの仕事は掃除や洗濯などの家事援助や、おむつ交換や入浴介助などの身体介護に限定されているのですが、個人の望むレクリェーションや様々な療法を極めて個別に行うことにこの仕事の特徴があります。
介護保険の施行以来爆発的に利用が伸びているデイサービスセンターなどで行われているレクリェーション活動の中でも典型的な「風船バレーボール」が良い比較ですが、年齢も障害程度も価値観も異なるお年寄りに対して、集団によるゲームだけで個々の要求を解消することが困難であることは容易に理解できることです。そこで個別の希望にそった、介護ではなく活動的な援助を行うことが求められているのだと思います。
ダイバーショナルセラピストと二人でパチンコに行くことや個別の趣味活動を行うことを贅沢なこととして考えるか、あたりまえのことと考えるかで自分自身の将来生活の質が決まります。
私はどんなに高齢になろうとも、その時にどんな障害があろうとも、自分の望む普通の暮らしを望んでいますので、これを支えるこのような仕事が確立されていくことが、ゆとりのある老後を保証するために重要だとおもっていますが、皆さんはいかがですか?
No4ケアマネージャーってだれのこと?
在宅での暮らしを継続することと、高齢者自身の自立を支援することを目指して施行された介護保険が適正に使われるために、その客観性と科学性を守るために作られたものがケアマネージャーという仕事です。介護保険法上では「介護支援専門員」といい、原則的には医師・看護師・介護福祉士・社会福祉士など国家資格をとってから5年間の実務を経験した人を対象に試験があり、これに合格した人がケアマネージャーの仕事をしているのです。
私は長岡市・栃尾市・三島郡の300人程のケアマネージャーで組織している長岡地域介護支援専門員協議会の代表をしていますが、この仕事に対する疑問をいくつか持っています。それは一つは仕組みに対して、もう一つは資質に対してです。
仕組みに対する疑問は、新たに40歳以上の国民全員の負担と税金によって財源をまかなう介護保険の中で、ケアマネージャーの作成した計画に支払われている額が1月に百数十億円も使用されているということで、在宅を支えるホームヘルプなど12種類の在宅サービスと比較しても4番目となるほど高額なことです。つまり実際に利用するサービスよりも計画書にお金がかかっているのは本末転倒ではないかと思っているのです。
また資質についても利用者本位をうたっていながら、多くの利用者や家族の皆様が、複雑なサービスを知らないことからケアマネージャーに計画を依頼される現状に狎れてしまい、決定権を持つ管理者と勘違いして振舞ってしまう人達が現れていることです。人が人を支える仕事の基本は、支える人が引っ張ったり決定するものではなく、支えが必要な人自身が成長し力をつけるように援助することなのですが、まだまだ未熟なケアマネージャーが多いのが現状です。
介護保険を利用される皆様におかれましては、面倒なようでも、どうぞ使われる保険のことを勉強して欲しいと思いますし、使われる皆様の自己責任も問われている仕組みであることもご理解いただきたいと思います。
No3花見シーズン到来
いよいよ長かった冬が終わり、花見のシーズンが到来しました。私の職場のこぶし園ではお年寄りの部屋から見下ろせるところに、園の名前の由来でもある春一番に白い花を咲かせるこぶしの木と、21年前の施設開設時に植えた大きな桜の木が並んでいて、毎年見事な花を咲かせています。
春のやわらかな陽射しの中の桜も美しいものですが、部屋のベッドから見えるライトアップされた夜桜も風情があり、お年寄りの皆さんに好評をはくしていましたし、毎年この桜の下で開かれるボランティアグループのカラオケ大会をより華やかに演出してくれていました。
ところが昨年の雪は全体の量はたいしたことではなかったのですが、一時にまとめて降ったために、楽しみにしていた桜の枝が何本も折れてしまったのです。町を歩いていてもあちらこちらで枝が折れている姿を見ますから私達だけの悲しみではないのでしょうが、これも雪国に生まれた宿命として受け止めなければなりません。
ところでこのシーズンになりますと、お年寄りの皆さん行きつけの?いろいろな地域の花見に出かけたことを思い出します。
人ごみにもまれた高田公園、花魁道中で華やかな分水の堤防、神妙な顔でお参りもしてきた弥彦神社、お魚が美味しかった柏崎の赤坂山、そして地元長岡の悠久山に福島江と本当にいろいろなところに花見に行きましたし、そのつどいろいろな昔話を教えてもらっています。
今年も悠久山をはじめ近在の花見名所に出かけられるのですが、年々遠くに行く方が少なくなってきました。これはひとつには、昔のように広い範囲から施設に集まる仕組みから、各市町村単位に施設ができてきたことにより生活圏域から離れなくてもよくなったことと、難しい言葉で言いますと要介護度が重くなってきたということだと思います。しかしどんなに身体レベルが重くなろうとも桜を通してやわらかな春の訪れを感じていただきたいと思っています。
No2人生の引越し
4月は新入学や新社会人の、また既に働いている人達も転勤などで新しい生活が始まる月です。新しい生活には期待も大きいでしょうが、同時に不安もあることと思います。
特に学校や職場が変わり今まで付き合っていた顔なじみの友人や家族から離れ、全く知らない人に囲まれ、さらには知らない町で暮らす人達にとっては、生活に慣れるのに苦労されることでしょう。
私は老人ホームを利用されるお年寄りの姿から、私自身も経験したことのある新しい生活に対する不安や苦労したことがダブって見えます。ましてお年寄りは、80年も90年も暮らし続けていたところから移り住むのですから、人生の引越しのようなもので、その思いや不安は私たちが転勤するとか数年間の学生生活の期間だけとかとは比べものにならないことなのではないでしょうか。
古いことわざの中に「老木は移さず」という言葉があるように、私はお年寄りの生活を変えてしまうのは良いことだとは思いません。しかし介護保険以降、全国的に老人ホームの待機者が大幅に増えたと報告されていますし、どこの地域でも老人ホームを作って欲しいとの声があるのですが、本当にそうなのでしょうか。
「今の暮らしを変えずに続けたい」「できるものなら家族もお年寄りと一緒に暮らしていたい」と思っていながら、でも「ホームヘルパーがたまにしか来てくれない」「デイサービスが保育所と同じように毎日使えない」「配食サービスがたまにしかない」、そして「嫁の私一人ではとても支えられない」「子供の学費や家のローンを払うために共働きしなければならない」 「せっかく勤めた仕事を辞めたくない」、だから「施設に入って」ということなのではないでしょうか。
私はお年寄りに人生の引越しをさせたくはありませんし、自分自身もしたくはありません。だから施設を作ることより在宅サービスを広げ続けているのですが、ラジオをお聞きの皆さんはどう思われますか。
No1あなたが主役に
平成12年に始まった高齢者のための新たな仕組み「介護保険」は、それまでの施設入所中心の仕組みから在宅生活の継続を重視したことと、高齢者自身の自立を目的としていることに特徴があり、また今まで行政サイドが決めていた「措置」といわれる制度から利用者自身が選択して「契約」する制度にかわりました。そしてこの四月からは、障害者に対しても介護保険と同様に、在宅生活と自立を目的とした支援費制度という新しい制度が始まったのです。
これまでの措置といわれる制度は、利用者自身が決定する仕組みではなく、行政サイドが利用者に合うであろうと予測したサービスを提供するものだったものですから、それまでの福祉サービスに対する意識が未成熟の社会では提供されるサービスの中身も低く、また利用者自身の声が障害によって出しにくかった状況の中では、利用者自身の声が充分反映されていたとは言えませんでした。そこでこの新しい制度では利用者自身を主役として、自分で使いたいサービスや入りたい施設を決めることができるようになったのです。
でもスタート当初は介護保険のように民間サービスの参入は活発ではありませんし、選択できるほどのサービス量はまだ用意できていませんから、残念ながら使えるサービスにあまり変わりはありません。しかし選択権があるのですから、様々な情報をしっかり集めて、自分自身の望む生活を要求して欲しいと思います。
生まれ故郷で家族や友人そして地域の人達と暮らすことや、アパート等での一人暮らしは「夢」ではなく「普通の暮らし」のはずですから、これを実現できる支え方を具体的に要求して欲しいのです。
「五体不満足」の著者でスポーツキャスターとして活躍されている乙武さんの言葉を借りれば、障害は個性ですから、自身の個性を生かした生活を作り上げて欲しいと思いますし、人生の主役としてこの新しい制度を使いこなして欲しいと思います。