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小山前総合施設長の部屋

略歴

社会福祉法人長岡福祉協会 高齢者総合ケアセンターこぶし園

小山 剛 (こやま つよし) 総合施設長

【 略 歴 】 (※2014.11.6時点)
 1977年東北福祉大学卒業後、知的障害児施設「あけぼの学園」・重症心身障害児施設「長岡療育園」の児童指導員を経て「社会福祉法人長岡福祉協会 高齢者総合ケアセンターこぶし園」に主任生活指導員として勤務。現在同センターの総合施設長、同法人の理事・評議員・執行役員・首都圏事業部相談役。
 社会保障制度改革推進会議専門委員、東京大学博士課程教育リーディングプログラム、ケアシステム分野担当・産官学民連携アドバイザー、新潟医療福祉大学客員教授、東北福祉大学特任教授、長岡赤十字看護専門学校・悠久崇徳学園各非常勤講師、認定NPO災害福祉広域支援ネットワーク・サンダーバード代表理事、全国小規模多機能型居宅介護事業者連絡会副理事長、日本認知症ケア学会代議員、健康の駅推進機構理事、NPO介護人材キャリア開発機構理事、全国経営協高齢者福祉事業経営委員会専門委員、都市再生機構URまちづくり支援専門家、NPO越の里山倶楽部理事、新潟県認知症高齢者グループホーム協議会代表、新潟県小規模多機能型居宅介護事業者協議会代表、長岡市地域包括ケア推進協議会副会長、(株)マイステルジャパン取締役、他多くの公職を併任。
■著書(共著・監修等)
 地域包括ケアシステム(オーム社)高齢者ケアはチームで(ミネルヴァ書房)介護保険制度と福祉経営(ミネルヴァ書房)高齢者ケア実践事例集(第一法規出版)高齢者ケアのニューウェーブ(中央法規出版)ケアマネジメントと経営戦略(中央法規出版)介護保険と在宅サービス(大成出版)ショートステイ緊急レポート(筒井書房)暮らしを支える新たな介護(筒井書房)介護経営白書(日本医療企画)介護支援専門員基本用語辞典・ケアマネジャー標準用語辞典(エクスナレッジ)在宅ケア辞典(中央法規出版)介護災害を防ぐ生活支援システム(筒井書房)ケアマネージャースピード学習帳(エクスナレッジ)ライフサポートワーク実践テキストブック(中央法規出版)、現代の社会福祉100の論点(全国社会福祉協議会)、地域包括ケアシステム(慶應義塾大学出版会)、ケアとコミュニティ(ミネルヴァ書房)その他多数あり
■受賞等
 平成17年度日本認知症ケア学会読売認知症ケア賞奨励賞受賞
 平成20年防災功労者防災担当大臣表彰受賞
 平成20年天皇皇后両陛下防災おねぎらい式出席
 平成22年BCAOアワード特別賞受賞(BCPの作成)
 平成24年Social Worker of the Year 2012受賞

 ■著書(共著・監修等)その他⇒こちらのページをご覧ください。

2014.12.9社会保障制度改革推進会議に出席してきました

麻生・福田政権下に発足した社会保障国民会議は民主党政権化でも継続され、社会保障制度改革国民会議に名前を変えたものの安倍政権下で審議が続き、昨年8月6日に安部総理大臣に最終報告書が提出されました。
 そしてこれに基づきプログラム法案が可決され、今年の6月に「新たな基金の創設と医療・介護の連携強化」「地域における効率的かつ効果的な医療提供体制の確保」「地域包括ケアシステムの構築と費用負担の公平化」等を中心とした「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律」が可決されたことはご存じのとおりです。
 この社会保障制度改革国民会議は現在社会保障制度改革推進会議に名を変え、平成31年1月11日以前まで継続されるもので、その中に専門の事項を調査審議させるための専門委員を置くことができるという項目があり、先般役不足・力不足の身でありながら医療・介護分野の専門委員に任命され会議に出席してきました。
 推進会議及び専門委員の皆様は名だたる学識経験者や団体の長がほとんどで、唯一人の現場人として不安を抱えながらも、安倍内閣総理大臣からの任命書にその責任の重さを自覚しているところです。
 私の役割は、介護保険以前から組み立ててきたフルタイム・フルサービスを地域社会に点在させ、それまでの暮らしの継続を保障すること、つまり現在の地域包括ケアシステムの一つの方向の実践者として、実践の場から見える効果や課題からの提言をすることだと思っています。
 私は社会福祉法人として事業の中心を中重度者に置いています。それは民間事業を含め様々な選択肢のある軽度者ではなく、病院からの退院や施設に頼らなくても今の暮らしを継続することを、もちろん家族負担ではなく社会保障として提供することが私達の使命だと思っているからです。
 このためには以下の4点の整備が不可欠です。
1.24時間365日連続する介護支援体制の確立が基本であるという事で、同居家族であっても共働きが主流の社会では介護はできませんから、家族の力ではなく社会保険のシステムとして継続される介護体制を提供しなければなりません。私達は平成7年から実施してきましたし、幸いにも現在では小規模多機能型居宅介護事業や定期巡回・随時対応型訪問介護看護事業で可能になっています。
2.食事は3食365日が普通で病院も施設も休むことはありません。つまり在宅生活においても家族に頼ることなく3食365日の提供が基本です。たとえば3食365日提供し続けている施設の食事を周辺社会に暮らしている施設利用者と同様の人達に提供することは極めて容易なことで、私達の地域では平成9年から提供し続けています。
3.痛い苦しいは誰でも避けたい事ですから、24時間365日継続する医療提供体制が必要です。これを構築するためには開業医の先生と訪問看護ステーションのチーム編成が不可欠で、特に24時間365日稼働する訪問看護ステーションは絶対条件です。私達は平成9年から実施してきましたし、前記した介護・食事とセットで提供することができます。
4.農業を生業として定住・多世代同居型の生活が長かった私達の社会では、24時間365日の支援体制が確立されても、プライバシーの確保や自分の生活に他者が出入りし続けられることのわずらわしさから同居家族がこれを否定される事が多いのが現状で、このために病院から退院できない、あるいは自宅以外での介護を望むために施設入所を希望されることになっています。
  しかし介護保険では2005年10月に居住費と食費を自己負担にしていますので、本人が暮らす場所は本人が負担し選択することになりました。
  つまり暮らしてきた自宅が困難であれば、その生活圏域内の「住宅」への移住もできるという事で、地域内に住まいを構築すれば病院からも退院できますし、施設への入所もしなくてもよい事になります。
  この実践を通して利用者の生活ニーズの実現、病院からの退院による医療費削減の事実を見える化していくことが私の役割だと思っている次第です。

2014.12.3 またまた大切な人を失いました

施設長の部屋をしばらく休んでしまいましたが、理由はなかなか書く元気が出なかったのです。理由は大切な盟友黒田裕子さんが亡くなったからです。
 そもそも黒田さんとは1993年にミシガン大学を会場に開催されたUS-Japan Training Institute in Geriatric Care Summerという日米共同のセミナーに参加した事に始まります。
 これは現在の地域包括ケアでも求められている他職種による連携のためのチームケアを学ぶセミナーで、辻元次官や中村元局長さんたちのご尽力で創設されたセミナーで、医師・看護・SW・介護・PT・OT・ST等関連職種20名くらいが同じプログラムを体験するという当時としては画期的な研修でした。
 1992年から10年間継続されたものですが、黒田さんと私はその第二期生としてともに過ごさせていただきました。
 当時の黒田さんはスピリチュアルケアを熱く語る元気なおばさんというイメージでしたが、熱く前向きな姿勢はその後も代わることはりませんでした。
 そして1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生、このことが熱く前向きな黒田さんの人生の転機となり、病院勤めを辞め、被災者支援に邁進することになり、NPO阪神高齢者・障害者支援ネットワークの理事長として活躍されてきたことはご存じのとおりです。
 他方私は2007年10月23日に発生した新潟県中越大震災後に創設した生活支援のためのサポートセンターを契機にNPO災害福祉広域支援ネットワーク・サンダーバードを設立、その後黒田さんにも理事に就任いただき共に活動してきました。
 日頃は共に忙しく、なかなか合う機会が少なかったのですが、仕事柄被災地では良く会っていました。
 今年9月24日、多くの事を教えてくれ、突風の様に走り去ってしまった黒田さん、本当にありがとうございました。
 
「黒田裕子を偲ぶ会」
2014.12.21(日) 13:30~16:30
コープこうべ 生活文化センター(神戸市東灘区)
どうぞご参加ください。

2014.8.26 住まいは自分で選ぶ時代

最近気になるニュースがありました。ユニット個室化を進めてきた厚生労働省が条件付きで相部屋(部屋代が発生)を認めるというニュースです。
 一部では多床室化を求める(いつまでたっても利用者ではなく、使わない人たちの望み?)声もあるようですが、今回の案は逆読みをすると、在宅や個室利用者とのイコールフッティグという意味もあり、相部屋でも部屋代の払える人からは負担いただくという事でもあります。もちろん低所得の人に補足されることは当たり前のことですが、負担できる人からはしていただかなければないないことも当たり前のことです。
 さて、これまでにも述べてきましたように、憲法25条で保障される住環境は、生活保護の住宅扶助で、まちの中でバス・トイレ・キッチン付きの個室が使えることを言います。これに対して介護を受ける事のできる専用の住宅(施設)が、いつまでも他人との相部屋やバス・トイレ・キッチン無しの環境で良いはずはありません。居住費や食費に対しては、所得状況によって補足給付を受けていた事を厳正に対応するために、来年度の改正では費用負担に対して預金状況や課税状況に対応する仕組みが代わります。加えて、サービス付き高齢者住宅などが展開され、住まいの選択と介護の選択が別々になっている時代にレベルの低い住宅を求める理由が理解できません。
 個室の負担が高いということなのであれば、非課税団体である社会福祉法人の施設利用者の個室を減免すれば良いのであって、課税されている民間事業者の住宅と同じ理屈にする必要はありません。いずれにしても2005年10月改正時に居住費と食費は自己負担になっているのですから、当然個人の選択という事です。つまり相部屋や多床室がどんなに作られても、2000年3月31日まであった措置制度ではありませんから、施設は入れられるところではなく、選択する住まいの一つです。
 利用される高齢者自身、高齢者に代わって選択されるご家族が、高齢者が自分自身のために、そして次に使用されるご家族が自分のために選択してほしいと願っています。もちろん私は、私の地域に整備してきたフルタイム・フルサービスと住宅を選択するつもりです。
 サービスがないから施設に避難して、避難先は住環境が貧相で…という時代はもう終わりにしませんか?

2014.8.26 代々木ゼミから見える高齢者の将来

昨日予備校大手の代々木ゼミの大幅な事業縮小のニュースが流れていました。このニュースを見ながら私の頭の中には何かがダブっていたのです。
 それは過日報道された特別養護老人ホームの施設待機者が52.4万人もいるというニュースです。
 代々木ゼミが縮小する理由の基本は、少子化で受験する子供たちが減少している事ですが、加えて大学の定員が減っていない中で対象者が減っているのですから、希望さえいわなかったら予備校に行かなくても入れる大学はあるという事です。
 他方、日本の人口は既に減り始めており、市町村の9割で既に減っています。この中で高齢者人口だけは僅かに増加しているのですが、これも団塊の世代の次は激減していきます。
 
つまり代々木ゼミは子供人口のピークに合わせたキャパを持っていたのですから、子供の減少とともに事業縮小を迫られたという事で、同様に特別養護老人ホームも高齢者のピークに合わせたキャパを作ってしまうと、事業縮小の時代が来るという事ではないでしょうか。それも事業体としては一予備校のレベルではなく、膨大なハードと大量の職員を抱えたままという事です。
 52.4万人の待機者も来年度の改正で要介護1・2の方々が基本的に対象外になりますと17.8万人の減、これにすでにサービスを利用している方々19.2万人も対象ではありませんから、結局のところ15.3万人という数字になります。これに加えて前回の報告のように自己負担の増加と住宅選択の拡大があるのですから代々木ゼミの件は他人事ではないのです。
 
また相変わらず在宅介護者のご苦労の様子が報道され、大変さが強調されていますが、介護保険は家族介護の時代から社会介護への転換を図るために創設された制度ですから、在宅介護者が大変だという評価は、その地域がサービスのないひどい社会だという事に他なりません。
 ご家族の介護に頼らない、24時間365日連続するサービスを、それまでの生活から切り離した施設で補完するのではなく、地域社会で支えられるシステムの構築が求められているという事ではないでしょうか。

2014.5.21  クローズアップ現代に出演しました。

5月12日(月)の19:30~20:00に放送されましたNHKの長寿番組クローズアップ現代に、光栄にもコメンテイターとして出演させていただきました。
内容は「介護からの卒業」をテーマに埼玉県和光市・長崎県町佐々町・三重県伊賀市それぞれで行われている介護予防や地域連携などの状況が紹介され、それに対するコメントを美人キャスターの国谷さんの質問を受けながらお答えするというものでした。
なによりも介護保険はより重度の方に配分し、軽度の方はできる限り保険外にしてほしいという事が私の持論でしたから、ドンピシャの内容でした。
そもそも介護保険法は第1条に高齢者が尊厳をもって地域社会で自立した生活をおくるためのものである事が示され、第4条では自分自身が倒れないように努力しなければならないとの意味で国民の努力義務が書かれ、第5条3項では国及び地方公共団体は国民が地域で暮らせるようにとされている法律ですから、高齢者それぞれが持つ能力を取り戻し、地域社会の支援の中で、社会で自立した暮らしを取り戻すことは当然のことなのです。
既存の介護保険事業者がこの努力をすると収入減につながる事に対して、市町村の努力は保険料が減少するというインセンティブになりますから、全国各地で同様の取り組みが広がる事を期待しています。
また介護保険からも卒業していただく事は、本人の自信にもなりますし、その経費がより重い人たちに配分され、病院からの退院や施設入所をしなくても地域で暮らすために使われることになりますので、大変有意義な取り組みだと思います。
今回のようにしっかりしたキーパーソンがいるからできるのだという意見もあると思いますが、市町村はそのキーパーソンを育てる責任もあり、できなければマネするところからでも始めなければなりません。
本当に貴重な体験をさせていただきましたが、国谷さんをはじめとするチームクローズアップの力を目の当たりにして、プロ集団のすごさも知ることのできた楽しい・有意義な体験でした。
できるものなら次は施設の地域分散をテーマに語り合いたいと願っています。

2014.4.27  認知症による事故責任について

認知症高齢者の徘徊時の事故に対する賠償責任について、愛知県大府市で2007年、電車にはねられ、死亡した認知症患者の男性の家族に対し、JR東海が列車遅延などの720万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が24日、名古屋高裁であり、裁判長は一審・名古屋地裁に続き、男性の妻の責任を認めた上で、約360万円の賠償を命じました。
 この事に対して、「認知症の人と家族の会」という当事者の全国組織や「認知症学会」「認知症ケア学会」「認知症予防学会」「早期認知症学会」「認知症グループホーム協議会」などなど多くの専門職の団体の声がいまだ聞こえていない中で、全くの個人的な意見になりますが、賠償の事よりも認知症のケアを高齢者個人の責任にしてしまっている事に大きな危惧を抱いています。
 先般報告された認知症の数は、462万人であり予備軍は400万人、高齢者の総数は3,000万人ですから4人に1人が認知症もしくは予備軍の社会において、同居の高齢介護者にその責任を押し付けるのは間違いだと思います。
 ケアの原則は24時間365日連続するものであり、その負担を1人の家族に負わせることは、家族介護を社会介護に転換させた介護保険法に反する行為と言わざるを得ません。
 また介護保険法のケア基準もマンツーマン体制ではありませんから、事業者のケアも家庭生活と差異はなく、通常の生活リスク(徘徊などがあっても拘束はしていません)は抱えています。
 しかしこのような事があると、この事を理由に、認知症高齢者に対する拘束行為が家庭内だけではなく、認知症をケアする施設においても、カギをかけて出られないようにすること、あるいは薬物によって抑制することなどを安易に拡大してしまうのではないかと危惧しています。
 介護保険法では不用意な拘束を禁止しているはずですが、残念ながら訴訟を避けるための拘束がまかり通る危惧を感じるほど、認知症に対するケアは標準化されていませんし、発展途上の努力を重ねている段階です。
 私達は認知症という普通の高齢者の普通の暮らしを支えるためにありますので、今後も日常生活の中で起こるリスクを抱えながら支援し続けたいと思います。
 だからこそ、日常生活において起こる事故については個人責任ではなく、社会の責任、社会の負担として許容するべきだと思います。

2014.4.17  サービス事業の統合

社会福祉法人長岡福祉協会は昭和54年に重症心身障害児施設「長岡療育園」を創設したことに始まり、昭和57年の特別養護老人ホーム「こぶし園」など児童・障害・高齢・教育・ボランティア等幅広い分野を担当しており、サービス提供範囲も現在では長岡市のみならず、東京都・埼玉県・千葉県にも展開(神奈川も準備中)しており、職員数も1900人を超える大きな団体に成長しました。
他方昨年の8月6日に安部総理大臣に提出された「社会保障制度改革国民会議」の最終報告書に見られますように、我が国の社会保障のあり方は「医療から介護へ」「病院・施設から地域・在宅」への転換が求められていますし、なによりも暮らしなれた地域社会において、御家族に負担をかけることなく生活を支える方向になっています。
当協会で高齢者サービスを担当しているこぶし園ではこれを実現するためにサポートセンター構想を掲げ、市内各所に地域包括ケアシステムを展開してきたところですが、さらに拡充するために、長岡市内のサービスを統合してより効果的な支援体制を構築する運びとなりました。
具体的にはすでに市内16カ所に点在しているサポートセンターの一つとして、高齢者ケアセンター千秋を位置付けるもので、今月からサポートセンター千秋として他のセンターと連動していきます。
喜多町に移設したこぶし園本体は全室キッチン付きの新しい住まいになりましたし、地域密着型の集合住宅(特別養護老人ホーム)美沢・千手・摂田屋・川崎に加えて千秋が加わったことで、川東に4カ所、川西に2カ所で住まいと24時間365日連続するサービスが併用するセンターができました。
また在宅支援型住宅が川崎・永田・摂田屋・上除に、サービス付き高齢者向け住宅が平島・大島新町に、そしてバリアフリー住宅が三和にありますし、24時間365日連続する訪問介護は新市内全域に、訪問看護は旧市内全域に、小規模多機能型居宅介護は関原・大島・千秋・千手・三和・摂田屋・美沢・川崎に、そして3食365日の配食サービスは深沢・関原・喜多町・千手・摂田屋・美沢・しなの・けさじろ・川崎・三和にありますから、単身の方・高齢者世帯の方・その他世帯の方含め、どんな状態になっても暮らしたい地域社会で生活を続けることは可能になっています。
市内のサービスを統合したことで、利用される方々にとってさらに暮らしやすい生活を支え続けたいと思います。皆さんの暮らしは介護状態にあっても望まれる地域で生活することが可能になっているのです。

2014.4.6  新しい生活選択の時代が来ました

高齢者総合ケアセンターこぶし園は、去る3月1日に喜多町への移転が終了しました。
昭和57年4月1日に深沢の丘の上に、定員100名の特別養護老人ホームとして開設以来32年目の事です。
在宅生活を支えるための24時間365日途切れることのないサービスの創設に力を注ぎ、サポートセンター構想でようやく先が見えてきた平成18年から既存施設の分散をはじめ、先行してきた川東地区に続いて、先月ようやく川西地区喜多町に5カ所目の分散が終了しました。
現在市内各所にポートセンターが17カ所整備してあり、センターを中心に1~3キロ程度の範囲にお住まいの方であれば、現在の暮らしを継続することは容易ですし、同居されているご家族の負担が心配であれば、併設もしくは近接している在宅支援型住宅等を選択することも可能です。
高齢者が介護を求めて移動する時代から、ようやく暮らしを変えることなく生活を支えられる時代が来たのです。
相変わらず52万人の施設待機者がいるとの報道がありますが、いつものことですが高齢者自身が自分の保険を使って施設に入りたいと言っているのではなく、同居しているご家族にかわる24時間365日連続する在宅サービスが足りなくて困っている方々が52万人いるという事実を見つめなければなりません。
2005年10月の前倒し改正で居住費と食費が自己負担になっている意味は、自分で生活したい場所を選択してこれを負担するという事で、介護はどこに住んでいても保険で提供されるという事です。
現在ではサービス付き高齢者住宅等、1人で暮らせる住宅が選択できるようになりましたし、単身生活や高齢者世帯が1000万世帯になっているのですから、ご家族の代わりに連続する定額のサービス、つまり小規模多機能型居宅介護や定期巡回・随時対応型サービスを利用すれば、暮らし続けてきた地域社会での生活を継続することは可能になっています。
そして従来型の大規模集約型から地域社会に分散する仕組みも出来ています。
多くの地域でこれらの事が進展することを願っています。
自分らしい生活を続けていく事は可能になったのです。

2014.1.1  施設の地域分散

救済を目的とした措置の時代から社会保険として利用者自身を対象とした介護保険に転換した中で、従来型の大規模集約型施設では提供困難な生活の延長・地域での暮らしを支援する手法として2003年に国と協議、次いで2004年には長岡市から構造改革特別区に申請していただき、従来施設の地域分散手法として認可されました。そしてこの仕組みは2006年の介護保険改正時に地域密着型サービスの中に組み込まれ制度化されました。
 また構造改革特別区の内容は分散だけではなく第一種社会福祉事業である施設のハードに対する自己所有をリースに変えたことと、管理体制などにも規制緩和を図ったことにあり、2005年10月改正において居住費・食費が自己負担になっていることと併せ、社会福祉法人の初期投資の負担軽減と介護事業の地域分散においても効果が見込まれたものです。
 1982年に定員100名で開設したこぶし園は当時県内20番目、市内では2番目の特別養護老人ホームとして設立され、周辺市町村に施設がなかったために当初は柏崎市や加茂市など17行政区からの利用でした。
 その後各市町村に施設整備が進んだことから利用者のほとんどが長岡市内になりましたが、こぶし園の本体がある深沢の山の上に住宅地はありませんから、開園当初のご利用者が各市町村に戻って行ったように市内の各地にご利用者を戻していくことが求められました。
 そこで各サポートセンターの整備に合わせて分散していくこととして美沢地区から整備をはじめ、川東地区に4カ所70名の皆さんをおもどしすることができました。
 そしてようやく今年3月には長い間お待たせしておりました川西地区30名の皆様を喜多町に移動していただく事ができます。
 ただ構造改革特別区で認めていただいた事業はサテライト(衛星)事業ですので本体としての施設のサイズは30床以上と定められているために川西地区全域に分散する事ができません。このために一度山の上から町場に移動し、これからさらなる地域分散にチャレンジする予定です。
  
サポートセンター美沢(2006320日開設)
 従来型の特別養護老人ホーム利用者を、それまで暮らし続けてきた地域に戻す施設として2004年に内閣府に構造改革特別区として申請、既存施設の地域分散の先鞭であり、地域の生活者を共に支援するために小規模多機能事業を併設した分散モデル第1号。
・地域密着型老人福祉施設(定員15名)
・短期入所生活介護(定員3名)
・小規模多機能型居宅介護(登録定員25名 通い15名 泊まり9名)
・配食サービス(3食365日対応)
 
サポートセンター千手200961日開設)
 既存施設の地域分散の発展型であり、地域の高齢者だけではなく共に暮らす地域の住民(大人・子供)も共有するスペースを併設した地域社会の共有モデルで分散第2号。
・地域密着型老人福祉施設(定員20名)
・認知症対応型協同生活介護(定員18名)
・小規模多機能型居宅介護(登録定員25名 通い15名 泊まり6名)
・配食サービス(3食365日対応)
・キッズルーム
・カフェテラス
 
サポートセンター摂田屋(201071日開設)
 既存施設の地域分散のさらなる発展型で、特別養護老人ホーム各室の玄関を外向きに設定、通常のアパートと同様に外からの出入りを可能にしたことと地域の高齢者だけではなく、共に暮らす地域の住民(大人・子供)も共有するスペースを併設した限定された地域社会の共有モデルで分散第3号。
・地域密着型老人福祉施設(定員20名)
・認知症対応型協同生活介護(定員9名)
・在宅支援型住宅(10室)
・小規模多機能型居宅介護(登録定員25名 通い15名 泊まり6名)
・配食サービス(3食365日対応)
・キッズルーム
・カフェテラス
 
サポートセンター川崎(201251日開設)
サポートセンター摂田屋同様のスタイル、土地・建物の民間資源活用も同様で分散第4号。
・地域密着型老人福祉施設(定員15名)
・在宅支援型住宅(10室)
・小規模多機能型居宅介護(登録定員25名 通い15名 泊まり6名)
・配食サービス(3食365日対応)
・キッズルーム
・カフェテラス
 
サポートセンター喜多町201431日開設予定)
 既存施設の分散の最後で、川西地区の30名の皆さんが移動されることと、新規に同じく川西地区の皆さんが利用されます。しかし今後も分散にチャレンジしていきますので、いずれは川西の各地に分散していくことを目指しています。
・特別養護老人ホーム(移動30名 新規30名)
・短期入所生活介護(定員7名)
・カフェテラス

2013.12.30  地域包括ケアシステムを考える

昨年は老人福祉法制50年の節目でしたが、相変わらず日本の高齢者ケアの意識は、昭和38年に施行された老人福祉法第11条2項(旧3項)に「六十五歳以上の者であって、身体上または精神上著しい欠陥があるために常時の介護を必要とし、かつ、居宅においてこれを受けることが困難な者を時に特別養護老人ホームに収容(現在は使われていません)し・・・」と規定されていたことから、いまだに施設収容が中心だと考えている人たちが多く存在しているようです。
しかし施設の目的は大勢の家族が存在していた古い時代に、家族がいない人たちや就労や高齢を理由に家族で介護することが困難なminority(少数派)のための仕組みで、つまり本人ではなく介護者の理由で措置する制度(社会のsafety net安全網)として設定されたものです。このためにその仕組みは自然災害時の避難所生活のように、隙間なくベッドを並べた8人部屋から始まっているなど、避難所の体育館と同様の生活環境でした。
これに対して現代社会では、家族介護が困難なことがmajority(多数派)となっていますから、これに対応するために、本人自身が使用するための社会保険(医療保険や年金保険と同じです)として介護保険が創設されたのですが、いまだに制度転換の意味が十分に理解されていません。
従来の救済を目的とした措置から保険に転換しましたが、その特徴は、利用者が家族ではなく高齢者本人であること、要介護認定は本人の状態像を認定するものですから、同じ認定なら施設でも在宅でも同じ対応をすることが原則であるということです。
しかし、在宅サービスの多くは措置時代と同様に家族介護を原則にこれを補填するレベルにとどまっているために、家族介護が困難な段階で施設入所や病院からの退院困難という状況が続いてしまっています。
そこで高齢者ケアの方向転換をするために、2003年に当時の厚生労働省老健局長の私的諮問機関がまとめた「2015年の高齢者介護」に地域包括ケアの方向が示され、また「地域包括ケア研究会」の報告書を見るまでもなく、過去において安全確保や家族など周辺者の生活を守るために病院・施設へ収容してきた時代から、本人自身の生活を重視するケアの時代に向かおうとしています。
そして2013.8.6に社会保障制度改革国民会議の最終報告書(2025年には実現されている目標)が安部総理大臣に提出され、これを具現化するための通称「プログラム法案」が衆参両院にて可決されました。この報告書のサブテーマは、「確かな社会保障を将来世代に伝えるための道筋」であり、この中で医療介護分野の目的を「医療から介護へ」、「病院・施設から地域・在宅へ」として、これを具体的に実現するためには、高齢者の地域での生活を支えるために、介護サービスについて、「24 時間の定期巡回・随時対応サービス」や「小規模多機能型サービス」の普及を図るほか、各地域において、認知症高齢者に対する初期段階からの対応や生活支援サービスの充実を図ることが必要であるとしています。
これらのサービスが必要な理由は、それまで家族に依存し続けてきた在宅介護を、家族がいなくても続けられるように「24時間365日連続して支え」、なおかつ利用者の負担にならないように施設と同じ「定額負担」にした事にあり、私達が長年チャレンジを続け提案してきたものが制度化されたという事です。
 いまだに大規模集約型や多床室を作る皆さんに大きな声で言いたい。
 避難を目的としている施設がまだいる理由は、在宅生活を支えるサービスを提供していない事にあるわけで、決して施設が求められているわけではありません。地域の人たちも含めて勘違いしないでください。
 在宅サービスを徹底して整備して、それでも足りないことがあるなら、それを施設が社会のsafety net(安全網)として担当するのであって、現在は在宅サービスを提供しないでおいて避難民を作っているような気さえします。
 ・・・一緒に生活したこともない、生活してきた世界も違う他人と、本当に一緒に生涯を暮らしたいと思っている人がいるのでしょうか?・・・
 ・・・今まで暮らしてきた妻・夫、子供たちや孫たち、友人・知人から離れてたった一人で、それも他人の中で生きていきたいのでしょうか?・・・
 私にはできません。
 地域包括ケアシステムとは、その人が「生きている」地域社会の中での生活を継続的に支えるために、24時間365日連続する介護と看護、3食365日の配食、そして安心を保障する医療を中核とした包括的なサービスシステムのことです。
どんな状態になっても、みんな「社会の中で生きていたい」のです。

2013.8.19 お盆が過ぎて…

今年のお盆も利用者の皆様の新盆行事「物故者を偲ぶ会」を無事に終えたところですが、私的には偉大な先輩を二人も送ることになった大変な年でした。
 この施設長の部屋にもしばらく手がつかなかったのもそのためだったのですが、ようやく新盆を終えて自分自身の心の整理のためにもと思いパソコンを打っています。
 亡くなられた偉大な先輩の一人は、神戸の社会福祉法人神戸福生会の理事長をされていた中辻直行さんです。出会いのきっかけは、互いに全国に10カ所程度しかなかった50床というショートステイ専用施設を運営していたことでした。
 私達が全国ショートステイサミットを平成5年に開催、翌6年は京都で開催、平成7年は中辻さんが神戸で開催予定ということだったのですが、その時にあの未曽有の大震災があったのです。
 以降、福祉の事、災害の事などなど本当に言葉では言い尽くせないほどお世話になりましたし、いっぱいご指導いただいてきました。
 「おれは養護老人ホームで育ったんや」が口癖で、長身でいつも鋭い口調、ある意味強面でしたが時々見せる笑顔がとても素敵でした。
 今回の東北の大震災では病床で動けなかったのですが、私はいろいろな指示をいただき、先輩の分も一緒に活動させていただきました。
 もう一人の大先輩は誰もがご存じのミスター介護保険、龍谷大学の池田省三さんです。
 いつも心は熱く、でも裏付けのデータは冷静に提示され、まわりがいつもなるほどと思わせられてきました。
 芯の通った態度とデータに裏付けされた発言で、各種の委員会においてしっかりと介護保険を進めていただき、特に在宅志向を誘導していただきました事は、私達の進めてきた地域生活支援においても大きな励みになっていました。
 こちらに幾度も足を運んでいただき、分析の手法、今後の介護保険の方向性など本当に細部にわたり指導を受けてきましたことを、こころから御礼申し上げます。
 お二人に共通していたのはお酒と煙草で、私自身も酒と煙草を愛していますので、お伴をさせていただいた機会が本当に多くありました。
 千鳥足どころかよろよろの状態になるまで飲んだことも両手で足りないような気がしますし、禁煙が進んでいる社会のマイノリティー同士、いつも建物の外で寒風にされされながら煙草を吸っていたことを昨日のように思い出します。
 
お二人とも病名を公表され、病気に正面から向かっていた態度にも感動させられましたが、お二人とも介護保険を使用しないまま旅立たれました。
 お二人なら口をそろえて「保険料を払うだけ払って使わなかったんだから、国民栄誉賞だな」と笑って言いそうな気がしています。
 数多くの指導受けさせていただいた後輩として、否応なく自立しなければならないことを自覚しています。
 とても偉大な先輩たちには追いつけませんが、新盆を終えて、先輩に教えていただいたことを、次の後輩たちに引き継がなければと心を新たにしています。

2013.4.5 やっと全員が地域に帰るめどが立ちました。

先日本体の移設のための入札が無事終了し、いよいよ本腰を入れて最後の移動を行います。 
 平成16年に内閣府に「既存施設を分散すること」をテーマとした構造改革特別区に申請して以来8年の歳月がかかりましたが、やっと当初の目的である施設の分散(解体かも?)が終了します。
 構造改革特別区の申請から2年後の平成18年にこの仕組みは地域密着型サービスに組み込まれ、サテライト型施設として地域密着型特別養護老人ホーム(29床以下)の扱いとなりましたので、本体(30床以上)が必要となります。 
 そこで既に美沢地区(15名)・千手地区(20名)・摂田屋地区(20名)・川崎地区(15名)の4地区に70名の皆さんをお戻し、残りの30名(本体)が川西地区の皆さんで、いままでお待たせしていたところです。
 ようやく川西地区の30名の皆さんをお戻しすることが出来ますが、残念ながら本体扱いですのでこれ以下に分散できません。また地域からの要請もあり30名分増床しますので、川西地区の方々用と限定はしますが、避難所から仮設住宅あるいは復興住宅に移動する感じだと思います。
 今後構造改革特別区もしくは制度変更にチャレンジして川西地区での分散を目指したいと思っています。
 また本体の脇にあるアネックスこぶし(ショート70・通所介護・認知通所介護・訪問介護・訪問看護・居宅・配食)もいずれは地域の中に分散していくつもりですので、地域展開している15カ所の稼働状況や地域ニーズを精査しながら段階的な分散にチャレンジしていきます。
 いずれにしても昭和57年の施設開設以来願ってきた、利用者の皆さん全員を地域に帰すことの約束が守れそうでほっとしている半面、30年もかけてしまったことに申し訳ない思いでいっぱいです。
 本当にお待たせしてしまいましたこと、心からお詫び申し上げます。

2013.3.15  情けない議論再び

田村憲久厚生労働相は14日の衆院予算委員会で、厚労省が掲げてきた特別養護老人ホームの個室化の方針を見直す可能性を示唆した。先の衆院選で「多床室(相部屋)推進」を掲げた自民党の公約が念頭にあるとみられるが、論議を呼びそうだ。 みんなの党の柏倉祐司議員から「個室を中心に特養を建てているが、方針の見直しが必要でないか」と質問があった。それに対して田村氏は「プライバシーを保護するために簡易な間仕切りをした多床室も知恵としてはあるのではないか。検討したい」と応じた。(3/14朝日新聞より)
 相変わらずの情けない議論が再度行われそうですが、誤解と無知はいつになったら解消されるのでしょうか?


誤解 施設待機者が多いから?

 介護保険は本人の保険ですから、本当に高齢者自身が家族や友人から離れて他人との集団生活を望んでいるのでしょうか?否、今までにも言い続けてきたことですが、在宅生活を支えられない脆弱なサービスしか提供されないから困っている介護者たる家族がいるということで、本来の意味は施設待機者ではなく「在宅生活困窮者」が正しいと思いますし、困っている理由を解消するためには施設を増やすことではなく、在宅生活の継続に支援が必要だということです。施設に入りたくて待っているのではなく、サービスがなくて困っていることを理解しなければなりません。

無知 生活保護受給者の生活環境は?
 日本国憲法25条の日本人として最低限度の生活を保証する「生活保護法」では部屋代を負担する住宅扶助があり、長岡市では31,800円/月、東京では53,700円/月ですから利用できるアパートなどが多くあります。また通常の住宅は町の中に建っていますし、部屋の中にバス・トイレ・キッチンがついていて、一人で使用できます。他方今回の議論は生活保護よりお金がある低所得者や、前記したように在宅生活の継続に困っている施設待機者?たる高齢者の皆さんに、バス・トイレ・キッチンもない多床室が必要だと言っていることになります。生活保護は日本人として最低限度の生活を保証すると言っているのに、それを下回る生活環境でいいという議論はあり得ないことです。利用者のニーズや現状を知らなすぎる=無知と言わざるをえません。

 政策を作る議員さんたちの責任は大変重いものと思いますから、多床室を議論する前に党派を超えた雑居部屋の議員会館を作り、介護が必要になった時に自らが多床室を利用して国民に見本を見せてから言わないとウソになってしまいます。自分自身が望む生活をみんなで語り、普通の暮らしを守り続けたいと思います。

2013.2.13 介護の常識について

先日の新聞記事に、昨年4月に導入された「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」サービスが広がっていないと紹介されていました。
 なんとも情けない話だと感じたのは私だけではないと思います。
 このサービスが広がっていない理由についての理解がないまま報道している点について、社会構造の変化や利用者のニーズ、そして利用の方法などをわからないまま、数字だけ書くのなら小学生にもできることで、報道機関としてその記事の裏付けや意味を理解してから書いて欲しいと思うのです。
 社会が少子高齢化しているだけではなく、核家族化や共働きが中心になっている現状の中で、24時間365日連続する介護支援を家族の手だけで行うことは極めて困難であり、既存の時々、それも夜間は提供していないサービスでは全く困難であることは言うまでもないことです。
 利用者の皆さんの目の前にあるサービスの多くが、時々しか提供されない、それも夜間も対応しないサービスでは話になりません。
 また同居されている家族にとって、24時間365日自宅に他人(介護士や看護師)が入り続ける生活もプライバシーがなくなりますから困難です。
 介護保険はスタートした2000年の時点で24時間365日の訪問介護になっていましたが、一回いくらという出来高負担では高すぎて使えないことと、提供する事業者がほとんどいなかったこと、そして利用する環境が整備されていなかったことで広がらなかった経緯があります。
 昨年スタートした「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」は、出来高から一月いくらという定額負担にしたことと、医療面についての安心を守る訪問看護を組み入れた定額制にしたことに意味があり、加えてサービス付き高齢者向け住宅など、一人でも地域で暮らせる住まいの整備を同時にスタートさせています。
 ですから、広がっていないのはこれらのサービスを提供する意識と理解と住まいまで含めた地域包括ケアの仕組みがわからないことにあるものと思います。
 私達が訪問介護事業を24時間365日にしたのは平成7年ですし、訪問看護事業を24時間365日にしたのは平成9年、そして3食365日の配食を開始したのも平成9年です。
 目の前の利用者に必要なこと、そしていずれ利用者になる私達自身にとって必要なサービスを提供するということは、できるかできないかではなく、する気があるかする気がないかだけだと思います。
 介護保険の仕組みも24時間365日支え続けられるものになっています。

2013.1.4 年頭所感

あけましておめでとうございます。 
 昨年末の政権交代にポピュリズムの危うさを感じた皆さんが多かったのではないかと思いますが、いずれにしても政権政党にはその責任をしっかり果たしてほしいと期待しています。
 さて社会保障と税の一体改革については社会保障国民会議がこの夏頃までに方向性を示すことになっているようですが、ある政党のマニュフェストに「多床室の特別養護老人ホーム」という記載があり、これを進めていきたい?ような議論が聞こえてきました。
 日本国憲法第25条には日本人として最低限度の生活を保証すると記載され、これを実現するための生活保護法では、町の中のバス・トイレ・キッチン付きアパートに一人で暮らせることを保証しています。これに対して介護保険料をはじめとした税金を払い続け、社会に寄与してきた方々が、高齢障害者になった途端に雑居部屋やバス・トイレ・キッチンなどが共有の生活を強いられるのはなぜでしょう?2005年10月に居住費と食費は在宅生活者とイコールフッティグするために自己負担となっていますから、住宅の選択肢は利用者側にあります。
 これを政策として税金を投与して雑居部屋を作ってしまったら、現在の高齢者に対する背信行為と言わざるを得ず、加えて鉄筋の大規模な建物は半世紀は残りますから、人口減少している後世の人たちの負荷にしかならないのではないでしょうか。
 税金を投与して政策にしなければならないことは、他のサービス利用者と格差を生んでいる補足給付の整理と住宅手当の支給ではないかと思います。
 私達サービス提供者は、たとえ地方の一事業者であったとしても、提供しているサービスは国民の一人を支える仕事なのですから、その人の暮らしを守り、社会の中で築かれてきた関係性を継続できるサービス作りに邁進しなければなりませんし、そのことが将来の自分自身の生活に反映されることを意識しなければならないことだと思います。
 もちろん政治を担当する多くの方々も全く同じ志向だと信じていますが、いつも聞こえてくる「国民の皆様のために」の国民の一人は自分自身のはずですから、自分自身が本当に雑居部屋で他党の人と人生の最後まで暮らしたいと思っていないのなら、自分のための政策を展開してほしいと願います。

2012.12.29 あっという間に一年が…

今年もあとわずかになりましたが、新規事業の定期巡回・随時対応型訪問介護看護の説明会を開いています。本日(12/29)で今月4回目の開催になりますが、会場が常に満員になる盛況ぶりで、在宅生活志向のニーズが高まっていることを肌で感じています。
 さて、こぶし園では今年も5月にサポートセンター川崎と大島を開設、9月には民間の方が建てられたサービス付き高齢者向け住宅の生活支援を担当、また居宅介護支援事業所を併設し、サポートセンター平島として運営しています。 
 さらに12月には来年早々に定期巡回・随時対応型訪問介護看護を市内2カ所で開設するためにサポートセンター美沢内に「こぶし24時間訪問介護ステーション美沢」を開設しました。
 また今年は、日本認知症ケア学会関東甲信越大会(新潟)の大会長、レジデンシャルケア研究会議(長岡)の開催、そして災害福祉広域支援ネットワークサンダーバードで被災地に述べ32日間、さらには(1)認知症ライフサポートモデルの具体的な検討と多職種協働の基盤づくりに関する研究事業、(2)災害福祉広域ネットワークの構築に関する調査研究事業、(3)高齢者等か支援を受けながら住み続けられるサーヒス付き高齢者向け住宅など、高齢者等の住まい方とその支援方策等に関する調査研究事業、(4)東日本大震災仮設住宅サポートセンターの実態調査と調査に基づく運営支援事業、(5)災害時要援護者の広域支援体制の検討と基盤づくり事業、(6)地域密着型サービスの質の向上の取組に関する調査研究事業、(7)地域密着型サービスを活用した自治体の戦略に関する調査研究事業、(8)小規模多機能型居宅介護と住まいに関する調査研究事業、(9)都市型の看護介護医療等連携研究会、(10)施設の機能強化委員会と、目が回るような毎日で本当にあっという間の1年(後二日残っていますが)でした。
 来年は長い間の夢でした施設の地域分散(5カ所目)の最終章、本体(30床)の移設を行います。
 利用者の皆様には本当に長い間お待たせして申し訳ありませんでした。やっと郊外のこぶし園に避難されていた皆さん全員を、もとの暮らしにお戻しすることが出来ます。

2012.8.6

今年の4月から、私たちがチャレンジを続けてきた24時間365日連続するケア、2004年から言い続けてきた「The system of all-inclusive care for the elderly」(高齢者包括ケアシステム)=地域包括ケアの具現化事業の一つである、「定期巡回随時訪問介護・看護」、小規模と訪問看護の合体版である「複合型サービス」が制度化されました。もちろんこの根幹は、これも言い続けてきた在宅サービスの定額制にあります。
また理解力不足のために質の低い参入者もいますが、昨年10月からスタートした一人暮らしの生活を保証する「サービス付き高齢者向け住宅」との併用で、家族の介護に頼らない、施設や病院に入らない制度ができました。 
私たち社会福祉事業の従事者は、決められた目の前のサービスを提供するだけではなく、利用者のニーズを敏感に感じ取り、必要なサービスを創設することも大きな役割だと思い今日まで活動してきたことが多少は役に立ったのではないかと喜んでいます。
周りには応援団だけでなく、手厳しく批判される方々もいる中で歯を食いしばりながらチャレンジしてきたこともありますが、そんな中、今回日本ソーシャルワーカー協会から「Social Worker of the Year 2012」を頂くことができました。
私たちの日頃の取り組みが、ソーシャルリサーチに基づき、ソーシャルアクションを起こし、利用者自身が社会で生きるためのエンパワメントを高め、これを科学的・客観的に支援していくことですから、このことが認められたことを本当に喜んでいます。
社会福祉は貧困救済だけの時代から、普通の日常生活の維持・支援にしなければならないと思っていますし、Social Welfareは社会の中でより良い状態であることを支える仕組みであることと、他者だけでなく社会に暮らす自分自身のものであると思っています。
受賞を糧に、今後もこのことをさらに意識した様々なチャレンジを積み重ねたいと思います

2012.7.5

最近、巷の一部の団体の意見をお聞きする機会があり、その内容の貧しさに悲しくなってしまいました。
私は施設運営の傍らで、後輩の育成のためにいくつかの学校で教鞭をとっていて、その際に社会福祉の意味について、あえて誰もが使う「保育所」(児童福祉法第7条の児童福祉施設)を事例に、普通のサービスとして社会に認識され、みんなの幸せのためにある仕組みだと説明していますので、社会福祉は社会で生きていく際に、よりよい状態になれるように支える仕組みの事だと説明しています。
しかし最近社会福祉関係者等から聞こえてくるのは「収益率」(税金を支払わない非課税組織の収益とは何のことでしょう?)「コスト」「効率」などが多いのです。
現在の利用者、また将来の利用者たる私たちの幸せを支えるために何が必要かの議論の上に効率性などが問われるのなら理解できますが、「利用者のために」が見えなくて自分たちの既得権のことが目立っているように感じているのは私だけでしょうか?
わかりやすい事例が施設の多床室要求と在宅サービスの否定です。
人は本当に家族や友人知人から離れて、全く知らない他人とベッドを並べて生活し、終末を迎えたいと思っているのでしょうか?しつこいくらい紹介し続けている老人福祉法第11条(旧3項)を見てほしいと思います。
書いてある通り在宅で暮らせない条件が発生した人を収容(当時の言葉)する仕組みなのですから、収容して我慢してもらっている間に「家族に頼らないサービスを組み立てて」地域での暮らしに戻し、支えるのが当然ではないでしょうか?このために地域包括ケアシステム、特に24時間連続する在宅支援が不可欠なのです。
ですから在宅サービスが進展しないから、非効率だから、施設が必要だとの議論は本末転倒のように聞こえ、できない理由やしたくない理由を言っているように思えます。
人の幸せが今の暮らしの維持にあり、家族の負担にならないことを望んでいるなら、これを支えるサービスをどうしたら提供できるか、できる理由にチャレンジし実行していくのが社会福祉従事者だと自覚しています。
現在多床室の推進や在宅サービスを否定している人たちは、将来自身が利用者となった時、現在の意見通りの生活を受け入れられるのでしょうか?
タイムマシンがあるなら見させていただきたいものです・・・・・。
施設サービスを受ける人も在宅サービスを受ける人も同じ認定を受けた人で同じ住民なのに、施設サービスはフルタイムで定額制負担、在宅サービスは時々で出来高負担、どうしてサービス量と負担が違っているのか整理が必要ですし、施設か在宅か、ではなく、住みたい地域や普通の住環境の選択とサービスの選択ができる社会づくりの時代だと思います。

2012.6.2

月末に気仙沼と仙台周辺に行ってきました。行くたびに思うことは地元の人たちの粘り強さと芯の強さですが、同時に瓦礫の山と殺風景なままの大地が変わらないことに胸が痛くなります。
震災当時から支援に行っていた宮城県本吉町の春圃苑の皆さんに招かれ、地域包括ケアシステムの話をしてきたのですが、懸命な利用者支援を行っている人たちは、災害復興という大変な作業と並行して、地域包括ケアの基礎づくりも視野に入れた活動を行っているのです。また仙台市でも東北福祉会の主催で同様の話をしてきたのですが、多くの仲間たちが復興と併せて地域包括ケアの確立に努力しています。
では被災していない地域の地域包括ケアはどうなっているのでしょう?
これは私の持論ですが、「ケアは災害の種類や程度にリンクしない」つまりどんな災害が起きても、人の暮らしは変わらないということです。人は地震災害を受けても台風災害をうけても、トイレに行きますし食事もとりますから、このことに支援が必要な人にケアを提供することは当たり前のことです。ですから災害にリンクしていませんし、24時間365日連続する支援体制がなければ生活できません。ということは普段の生活において24時間365日連続する支援体制がないところは地震災害などと同様に「介護災害」の被災地ということになります。
自然災害で介護していたご家族を失った人たちに対して、ご家族がされていた24時間365日連続する支援を提供して補填しなければ生活が継続されないことは言うまでもありませんし、就労などの理由でご家族が介護できなくなった状態に対しても同様に支えることが当然だと思います。
被災地では自然災害のために介護家族を失った人と就労などで介護困難になった家庭が混在していますから、どちらの理由にしても状態像は同じということで、地域での生活を支援するために地域包括ケアシステムの構築を目指されているということだと思います。

2012.5.8

例年になく遅い春が来たと思ったら、あっという間に桜が散って夏のような気温になり、春がなくなったような何か損した気分です。
さて先回はサポートセンター大島のことを書きすぎ、同時開設のサポートセンター川崎のことが紹介できませんでしたので今回はこちらをご紹介します。
サポートセンター川崎は、既存の特別養護老人ホームの地域分散の第4番目として市内川崎エリアに開設したもので、サテライト型特養定員15名、小規模多機能型居宅介護(登録定員25名 通い15名 泊まり6名)、地域交流スペース(カフェテラス・キッズルーム)、在宅支援型住宅10室(サービス付き高齢者向け住宅のモデルのようなもので、長岡市単独事業、介護サービス事業者と併設もしくは隣接で建てられる高齢者住宅に対して100万/室の補助があるもの)があり、他のサテライトと同様に民間のオーナーが土地建物を負担して建てたものを私どもがお借りして運営しているものです。
事前の見学会に訪れられた多くの住民の方々からいただきましたアンケート結果には、「地域の中にあり良い」「自宅近くで良い」「部屋が広く明るい」「地域の皆が集まれるスペースが良い」など評価していただいた回答がほとんどでした。
ただ中には「施設らしくなくて良い」との回答があったのですが、前段の回答と比較すると、従来の施設は「地域にない」「狭くて暗い」「自宅から遠い」・・・・・
というふうに見られているということになるのですね~、確かに昭和57年製のこぶし園本体は申し訳ありませんがその通りでした。
 そこで平成16年に内閣府に構造改革特区申請をしてから4カ所目のサテライト型施設になるのですが、いずれも地域の皆さんからは前記しましたように高い評価をいただくことができました。
 しかし昨今の雑誌での論争や関連団体のご意見の中には、いまだに多床室を求める声があることに疑問を通り越し、憤りさえ感じてしまいます。
 どうしてそこに使用される調査結果やアンケートの数字のもとが、事業者や職員の声だけなのでしょうか。
通常の社会で行われているマーケット・リサーチ(ニーズ調査)は周辺者ではなく当事者(高齢者自身)の声が反映されるものだと思います。
効率性や利用費用が安いことを多床室が必要な理由にされている場合がありますが、効率性を問うならば災害時の避難所となる体育館のほうがもっと効率的でしょうし、利用費用は住宅手当(生活保護にもあります)を出せば済むはずです。
問題は使おうと思わない人たちの議論ではなく、当事者またこれから当事者になろうとしている人たちの声が反映されることと、住まいとして普通の環境が求められているのに提供できていないことなのではないでしょうか?
従来の施設という大規模集約型で介護を中心に提供した時代から、それぞれが選択した住環境の中で、自分の生活の延長と並行した介護を受けたいということだと思います。
特養の分散・住宅提供、そしてフルタイム・フルサービスのセットとして展開しているサポートセンターが、まだまだ未熟で不足がある中でも評価されている理由はここにあるものだと実感しています。

2012.4.23

やっと北国にも春が訪れ、こぶしの花が咲き始め桜の花も目覚めてきました。
さて前回の話に書きましたサポートセンター大島と川崎の見学会が終了し、土日の二日間で大島には200名超、川崎には600名超の近隣の方々にお越しいただきました。
サポートセンター大島のサービスは小規模多機能型居宅介護・カフェテラス・キッズルームで、隣接地に関連の長岡西病院があり、今後同地内にサービス付き高齢者向け住宅の整備が予定されていますので、同地内の方で退院を希望していた方の支援も可能になります。
フルタイムの定額サービスを同居者のいる自宅で使用することは同居者のストレスになることから利用しづらかったのですが、高齢者向け住宅が選択できることで、今後は退院して地域で暮らすことが可能になります。
私たちはこのために複合型サービス(小規模多機能型居宅介護と訪問看護の一体型)への転換を予定していますのでどうぞご利用ください。
また利用する際には以下の点に十分注意してください。
サービス付き高齢者向け住宅の制度化と定額負担でフルタイムの生活を支援する小規模多機能型居宅介護の組み合わせは、ともすると地域性を無視して利用者を囲い込む施設型になることがありますから、利用される際には地域性が重視されているか、つまり「日常的な社会生活」が確保されているかということと、それまでの「暮らしの継続性」が守られているか確認することが重要です。
小規模多機能型居宅介護サービスは小さな施設に人を囲い込むためのものではなく、暮らしの継続性を守り地域社会で暮らすことを支える仕組みで、家族の皆様の介護負担を軽減するために高齢者の方々をどこかに集めて介護を提供してきたものから、家族の皆様の介護負担をなくすことは同じでも、高齢者の方々自信の望まれる生活を地域社会の中で支える方法なのです。
聞きなれない名前ですが一度足を運んで目の前のサービスを見ていただければサービスの意味がお分かりいただけると思います。
花見のついでにでもお立ち寄りいただければ幸いです。

2012.4.6

新年度を迎え、新たな仲間たちとの第一歩を進めたところです。今月は大雪のために遅れていたサポートセンター川崎・大島(別添パンフレットを参照ください)のオープンに向けて準備の真っ最中です。
川崎はこぶし園の四番目のサテライト施設ですから、近隣から本体のこぶし園を利用されていた15名の方たちが戻られますので、いよいよこぶし園本体は30名となり、こちらも今年か遅くても来年中の地域復帰を目指しています。
私たちは地域社会での暮らしを支え続けるためにサポートセンター構想を立ち上げ、24時間365日の介護や看護、3食365日の配食、365日の通所、フィットネスクラブ、バリアフリー住宅、診療所などとの連携などなどを展開し続けています。またサポートセンターは地域社会のみんなで共有するものとの位置づけで、お父さんの居酒屋、子供たちの遊び場なども同時に整備しているところです。
こんな展開をしている中で、ご批判をいただいたブログを見つけました。それは私の施設=避難所論の事らしく、高慢な言い方だとか施設は生活の場だとかというのですが、ご批判については真摯に受け止めさせていただきたいと思います。
ただ老人ホームの役割が規定されている老人福祉法第十一条旧三項「六十五歳以上の者であって、身体上又は精神上著しい欠陥があるために常時の介護を必要とし、かつ、居宅においてこれを受けることが困難なものを特別養護老人ホームに収容させ・・・」をよくお読みのうえ、憲法二十五条の日本人としての最低限度の生活保障の基にある、生活保護法でも住宅扶助があり、通常は町の中のバス・トイレ・キッチン付きの個室に住めることと、2005年10月の介護保険法前倒し改正で居住費と食費が自己負担になっていることの意味を考えていただければ幸いに存じます。
加えて国内ではどんな災害が起きても避難所から仮設住宅、そして最後は全員もとの地域社会に戻ることを支えてきた現実と、在宅において介護生活が成り立たなくなった介護災害者への対応に格差があることに気付いて欲しいと願っています。

2012.3.29

ようやく春らしい日差しを感じるようになりましたが、私たちの周りはまだ一面の銀世界が広がっています。
 こぶし園=サンダーバード(ホームページを参照)ということで、東北支援も40回を越え、先日も支援を続けている釜石と気仙沼のサポートセンターに行ってきました。あちらは雪がほとんどなく、長岡よりずっと春が近付いている感じでしたが、いまだに残されているがれきの山や何もかもなくなった殺風景な大地が、被災の大きさと復興の大変さを物語っていました。そして行くたびに感じるのが支援する人たちの減少です。特に冬季は減少しました。雪が大変だからの言葉に絶句、私たち雪国の住民は毎年被災にあっている?ということでしょうか??。本当にどの町に行っても支援者の姿が少ないのです。東北人の忍耐力と自助・共助の努力に感嘆する一方で、ボランティアの意識がまだまだ定着していない社会を実感しています。また私たち社会福祉法人は今こそ本来の使命である社会貢献事業を実施しなければならないはずで、全国の仲間たちの力を合わせれば、もっと多くの地域で、もっと多くの人達の生活を支え、もっと早い復興に結びつけられると思います。支援に対しての理想論や空想論、あるべき論や批判など聞くこともありますが、それらは行動の後にするのもので何もしない傍観者の理屈などなんの役にも立ちません。私たちはこれからも今までと同様に、自分たちにできることを通して東北の隣人を支え続けていきますのでご支援いただければ幸いです。

2012年 年頭所感

皆さまあけましておめでとうございます。

ホームページを改定してからこのコーナーに記載する時間が無く、この度初めて掲載いたします。
 
今年は辰年ということで「上昇」がイメージとなりますが、スリムな東洋の龍と筋肉質な西洋のドラゴンはどうもイメージが異なりますので「上昇」には東洋の龍があっているように思うのは私だけでしょうか。
さて私たちは辰年だけではなく毎年「上昇」を願って活動しているのですが、無駄な筋肉や贅肉でだぶついているためか、亀のような進み方をしているように思います。
1982年に施設を開設以来、短期入所・配食・通所介護・訪問介護・訪問看護・住宅などなど整備し続け、現在では既存施設の地域分散を含め地域包括ケアシステムが市内に14カ所点在するようになっているのですが、ここまでに要した時間は何と29年間です。
人が生まれてから小・中・高・大学と進み、社会人になって、結婚して、子供ができているくらいの期間をかけてやっとこれだけです。
もっと早く、もっと多くのサービスが提供できていたら、泣き崩れていたお嫁さんの姿も、一人寂しそうに佇んでいたご利用者の姿も、歯をくいしばって無力感に耐えていたスタッフの姿も見なくてすんだはずです。
 
2012年の年頭にあたり、本当の意味で家族の負担に頼らない、自分で選択できる暮らしの継続と、関わるスタッフも納得できる支援体制を拡充することを目標に、地域の皆さんと共に前進することを自分自身に約束したいと思います。
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